「神のまなざし」に支えられて
「神のまなざし」に支えられて
学校長 栗本嘉子
2021年2月、世界中の新型コロナウイルス感染症による死者が240万人を超えたとニュースが伝えた。いのちは常に、本来数えられるものではない。にもかかわらず、私たちはこの一年、陽性者数、重症者数、死者数を常に数値化し、目に見えないウイルスの動向を追ってきた。私たちは、200万人という「いのち」の個体数の実感を、しっかり自分ごとにできないまま今日に至ってしまった。
このような状況の中で、私なりに考えることがある。思えば2019年初冬の教皇フランシスコの来日はまさしく摂理的であったと言うしかない。教皇訪日が終わった直後、カトリック中央協議会は、いち早く訪日講話集が出版した。その初版の日づけを見ると2020年1月25日。これからまもなく起こるであろう全世界的な大惨事を、誰一人、教皇ご本人ですら想像もしなかった時の日づけが記されている。訪日された教皇が最も強く、熱意を込めてお伝えになったメッセージのエッセンスは、そのままこの書籍のタイトル「すべてのいのちを守るため」となった。まさにこの本の発刊とほぼ重なる形で、未知なるウイルスによって、全世界の人々の日常行動様式の変容を余儀なくされ、世界各国では店舗の閉鎖、劇場等文化芸術施設の休業、学校や大学も、3カ月以上もの期間、その入構が不可となるといった未曽有のできごとを経験することになった。すべて、「いのち」を最優先に守るための選択であった。計らずして、私たちは、全世界あげて、今に至るまで、この長くて先が見えづらいトンネルの中をくぐりながら、いのちを守ることに全精力を注いでいる。その時に、日本に生きる我々の心には既に、フランシスコの言葉が与えられていたのは、どれほどの神の摂理であったことかと思う。
この訪日講話集をひもとくと、教皇がいかに、いのち、祈り、連帯ということについて、長崎でも広島でも東京でも様々な聴衆に向かって熱心に話されたことがわかる。この中で、祈りについて、教皇は次のように言われた。
「祈りとは基本的に、ただそこに身を置いているということ。心を落ち着け、神が入ってくるための時間を作り、神に見つめてもらいなさい」
これは、教皇へある霊的指導者が言われた言葉として引用された。私たちは、特につらい時、神に話しかけることが多くなる。あれこれリクエストをし、神に自分の願いを訴えかける傾向にある。いや、むしろすべて黙って、神にただ聴くこと、ここでは聴くことを通り越し、ただそこに身を置き、神に見つめてもらうこと、それが祈りだと言われる。私にとっては、新しい息吹のような気づきであった。
人にはだれでも、不安感や無力感に苛まれる時、どうしようもなく自信を奪われそうになる時、自分の内側が外の何らかの力に圧倒されそうになる時、そんな時がある。そして、今まさに、世界全体は、襲いかかるパンデミックの圧倒的な力で、一人ひとりが大きな不安を感じている。その時に、「神にみつめてもらっている」という心をもつことは、私たちを強め、励まし、勇気をもらうことになるだろう。祈る言葉を失うほど、孤独と不安で悲しみに打ちひしがれている人々であっても、心のうちに場所を設けることさえできれば、神はその人の内側にお入りになり、優しいまなざしで見つめてくださる。いかなる時にも自分の内側に神がお入りになる場所、そして時間を作り、神に見つめてもらおう。そのことを、フランシスコ教皇は私たちにあらかじめ知らせに来られたのだ。それは2019年11月25日の東京カテドラル聖マリア大聖堂で開催された「青年との集い」の時のことであった。若者たちに向かって、これを語られた教皇は、さらにこう続けられる。
「聞いてください。あなたたちは幸せになります。他の人といのちを祝う力を保ち続けるならば、あなたたちは豊かになります。(中略)いつも次のように問うことが大事なのです。わたしはだれのためにあるのか。あなたが存在しているのは、神のためで、それは間違いありません。ですが、神はあなたに、他者のためにも存在してほしいと望んでおられます。神はあなたの中に、たくさんの資質、好み、たまもの、カリスマを置かれましたが、それらはあなたのためというよりも、他者のためのものなのです。他者と共有するため、ただ生きるのではなく、人生を共有するためです。人生を共有してください。」
これは、神のまなざしに気づいた者が、どのように他者と連帯していけるか、という問いについて、とても大切な示唆を与えている。ただ祈ることに終わるのではなく、他者の為に自分のカリスマ(たまもの)を共有すること、これが、フランシスコ教皇の言われる「いのちのための行動」である。その他者とは、だれか?教皇は明確に、「自由が抑え込まれ、孤立し、閉ざされ、息ができない」でいる存在。そのような存在に対し、「分かち合い、祝い合い、交わる」関係性、そのような関係性を作っていくことが、「いのちのための行動」であると教皇は言われる。
未曽有のパンデミックの直前に来日し、若者にこれを告げ知らされたことに、神の恩寵を感じるのは私だけではないだろう。なぜならば、これこそが、世界的な未曽有の危機を乗り越える秘訣だからだ。自らの内側で神のためにスペースを空ける、そしてそばに来てくださる神のまなざしを感じながら、他者に自分を与えることで、必ず闇から光の世界へ移ることができる。その先に見えるもの、それは、新しい世界である。これまでとは異なる、新たな選択肢に満ち溢れる世界である。皆のもつ良きもの、資質やたまもの(カリスマ)、優しさ、勇気、信じる力が合わさって、素晴らしい調和と平和が生まれる。それが真の意味での「連帯」の力であろう。愛し合い、生かし合い、支え合い、すべてのいのちが輝く世界、そんな世界を、今、もっと本気で築いていこう。さあ、私たちから始めよう。
(ノートルダム女学院中学高等学校父母の会 発刊 「清流」第82号より)