2学期始業式にあたり

 

2学期始業式にあたり

 

2021年8月30日

 

学校長 栗本嘉子

 

 

本日から第二学期が始まります。

 

新型コロナウイルス感染症の、これまでに類を見ない爆発的な拡大の中で、この放送始業式も開催されています。第5波、4度目の緊急事態宣言、20歳未満の新規感染者の数の増大、自宅療養者の激増、病床逼迫率の高止まりなど、毎日の報道は我々に全くの予断を許さない現状を訴えています。しかしながら、私たちは、それでも学校生活をやり抜き、共に成長していくことを、何としても続けていかなければなりません。

 

このような状況の中で、私たちは東京2020オリンピックを迎え、多くの選手たちの感動的な姿に励まされ、今現在は、パラリンピック開催中です。この特別な状況でのオリンピックパラリンピックは、我々にどのようなメッセージを投げかけてくれているのだろうと考えます。勝っても負けても、メダルを獲得しても逃しても、選手たちはそれぞれ、全身全霊を込めて競技に挑みました。雄々しい競技の姿と共に、たくさんの心に残る言葉も、我々に残してくれました。

 

そして現在開催中のパラリンピック。このパラリンピックについて、皆さんに是非とも知っておいてほしいことがあります。それは、パラリンピックの起こりとなった、ある考え方。そして、ある人の言葉、今日、それを是非知ってほしい。パラリンピックはご存知のとおり、障害のある方々のスポーツ祭典ですが、最初の開催が1960年ローマだった。その時まで、障害のある人は、とにかく保護されるべき存在であり、病院や自宅以外では存在の価値がろくに認められていなかったといっても過言ではなく、世の中は健常者のためのものである、という考え方が世界で横行していた、そんな時代でした。が、ドイツ系ユダヤ人のグッドマン医師が、身体のいろいろな機能を失い、明らかに健常者と言われる人の中にあって不自由である彼らに向かってこういったのです。「失われたものを数えるより、今あるものを最大に生かそう」。この言葉は、今に至るまで、パラリンピックの理念となっています。そして、私が説明するまでもなく、パラリンピックでの選手たちの姿は、このグッドマン医師の精神を見事に形にしてくださっていると思います。

 

今日、私が皆さんに申し上げたかったのは、「失われたものを数えるより、今あるものを最大に生かそう」。というこの言葉は、実は今の我々の置かれている状況にも当てはまるということです。我々は今、二学期を始めるにあたって、このスピリットで行きたいと思う。これから授業、行事、様々なイベント、出来事があります。特に二学期は、一年のうちで最もたくさん、楽しいことやワクワクすることがあるはずです。私も校長として、皆さんが少しでもたくさんの時間を、仲間と共に力を発揮してワクワクして過ごしてほしいと願っています。でも、そういう時間が、これまでと同じように当然のようにあるのだと断言できない状況だということは、皆さんはすでにこの一年を過ごされてよく理解し、我慢し、大変努力してきてくれていますね。それがもうしばらく続くかも知れない。いつまで我慢しなければならないのか?それは私にもだれにも、わからない、不確実なことであります。でも、このグッドマン医師のことばの通りに、今、我々がもっているものを生かし、今、我々に許される状況の中で、最大限にできることをしよう、それは、とても大切な「こころざし」です。我々を生かす「こころざし」なのです。こう思える人とそうでない人との差はあまりにも大きく、過ごす時間の質が変わってきます。2学期最初に当たってまず私が言いたいのはそのことです。皆さん一人ひとり、今、ここで、私には何が与えられているのか、そしてそれをどう使えるか、どう生かせる、それをどうぞ、一生懸命に考えてください。そのことを考え、実行していくことが、とりもなおさず、冒頭で私が朗読しました本日の聖書の箇所、「突風を静める」で注目してもらいたかった箇所につながります。すなわち、その「こころざし」が、イエスと共に、湖の「向こう岸にわたろう」とした弟子たちにつながっていく。嵐で舟が沈みそうになって恐れおののいた弟子たちに、イエスは、「あなた方の信仰はどこにあるのか」と問われたイエスと共に、イエスに従いながら、今のあなたに与えられているすべてのものを賢明に駆使しながら、向こう岸にわたり切りましょう。

 

これで、始業式に当たり、私の話を終わります。

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