3学期始業式にあたり

1月7日 第3学期始業式に寄せて

 

学校長 栗本嘉子

 

 皆さん、第3学期がいよいよスタートしました。各自、ご家庭やご親戚、あるいはお友達とご一緒に、クリスマスやお正月は楽しく過ごせましたか。学校も、昨日、クリスマスの飾りつけをすべて片付けて、3学期の準備を整えたわけですが、そう聞くと、えっ、昨日片づけたなんて遅いのではない?もうお正月も済んだというのに…と驚く人も多いかも知れません。実はカトリック教会では、16日ごろまで、馬小屋やクリスマスツリーなどが出たまま、クリスマスをお祝いし続けます。教会の暦では、1225日にクリスマスをお祝いする、すなわち、降誕際を迎えると、そのままその週は「降誕節」と言って、イエスの誕生にちなんだ様々な聖書の箇所が朗読され、元旦は、「神の母マリアの祝日」、そして、今年でいうならばその翌日12日が日曜日でしたから、「主の公現」主、キリストが公に人々の前に現れる日、すなわち、東方の博士たちが遠い国々から幼子イエスを拝みに来られた日、イエスが公に人々の前に姿を現されたことを記念する日としています。イエスを通して、神様が私たちにはっきりと人間の姿で現れてくださったことを記念する日、とも言われています。皆さんがきっと見たことがあるクリスマスの聖劇の中では、この博士たちが供え物を携えて馬小屋に向かうことも一緒に出てきますが、実は教会では、別々の日にお祝いするのですね。

 

 さて、なぜ、私が今なお、クリスマスの話をしているのか、と言えば、それは、教会の暦の説明をしたいからではありません。実は皆さんに、3学期の始まりにあたって、クリスマスの最大のメッセージを忘れないでほしい、改めて考え続けてほしいと思ったからです。

 

クリスマスに、イエスが飼い葉桶に眠っておられるシーンを憶えておられると思います。正面玄関のところにある馬小屋をご覧になっても、マリア様、ヨセフ様、そして羊飼いや博士たちは、赤ちゃんを囲むような形で大切に幼子イエスを見守っています。では、皆さん自身が生まれた時のことを憶えていますか?自分がどんなふうに、お母さんの胸の中で抱っこされていたか、あなたを囲んで、ご家族の方々がどんなふうに話したか。赤ちゃんだったあなたを取り囲んで、きっとみんな微笑んで、誰々に似ているね、と笑ったり誰々にそっくりだ、と皆が楽しそうに話し合っていたり、みんなどんなに忙しくても、一瞬手を止めて、ホッとした様子で、大切そうに見守り、また、あなたを抱かせて頂戴と言ったかも知れないし、すやすや眠っているあなたの小さな手をそっと握ったかも知れません。きっと、あなたは憶えていないでしょう。でも、あなたはそうやって大切に思われてミルクを与えてもらい、おむつを交換され、お風呂に入れてもらい、具合が少しでも悪ければ寄り添って看病されたに違いない。ちっとも憶えてはいないけれど、そうやってだれかに大切にされていなければ、今ここにあなたや私はいるはずがないのです。きっとあなたはだれかに言われたでしょう。生まれてきてくれてありがとうと。そして一歳、二歳とお誕生日のたびにお祝いをしてもらえたかもしれません。

 

生きてくれていて嬉しいと心から思ってもらえた誰かのお陰であなたや私がいるのだ、今、ここにこうやって。クリスマスのたびに、馬小屋のイエス様を見るたびに、私自身は、私の命のことを思います。愛されたからこそ生まれてきた私自身を。そうでなければ存在すらし続けることができなかった私の小ささと、私の弱さを。そう思えば、「私はなんで生きているのだろう」などと難しいことを問う前に、「生きるって面倒だ」なんて不貞腐れたりする前に、あゝ、私は、まず愛されてこの世に生まれ、愛されて育てられたのだとわかります。まず愛された。まず大事にされた、まずその存在を喜ばれた、それが私の存在の始まりです。そう思えば、何かしたくなる。人を大切にできる気もする。そう思えば、優しい言葉の一つをだれかにかけることができる気がする。困っている人がいれば、手を差し伸べられる気がするのです。まず、私がそうされたからです。

 

クリスマスは、1225日で終わってしまうものではありません。飼い葉桶の中の赤ちゃんは、日一日ごとにマリア様のヨセフ様、その他の方々の愛情とケアをたくさん受けて、すくすくと成長されました。クリスマスは、私たちも、そのようにして成長してきた存在なのだということを思い起こさせてくれます。そして、愛されて存在している私たちは、だからこそ、人を大切にできるように、なれるのです。

 

3学期を始めるにあたって、飼い葉桶の赤ちゃんの意味をもう一度思い起こし、私たちの命をくださった神様が、私たちにどう生きてほしいと願っておられるか、ということを考えてみてほしい。ホームルームで、またはあなたのご家庭で、あなたという人はどのように存在できるのか?ということを考えることからスタートしてみてください。

 

前のページに戻る