エッセイ 森と土と “リアスの海辺”

東北の太平洋岸が巨大津波に覆われた震災の日、二万人近い方の命と、有形無形の財産はそっくり喪われました。その場に残された方々のその後の暮らしについて、京都に住む私たちが共感するにはあまりにも次元を超えていると感じるしかありませんでした。それでも、現地の様子を時ごとに伝えるメディアは、戸惑う私たちに、絶望しかないところにも希望がある、闇しかないと思ったところに光が見いだせる、そのことを知らせ続けています。

最近、三陸リアス式海岸の気仙沼湾で、カキやホタテの養殖をお仕事とされている方の記事を読む機会がありました。畠山さんとおっしゃいます。震災後、津波の被害が甚大であった太平洋岸に住む人々の今の暮らしは、いったいどうなのか気にかかっていたので、「リアスの海辺から」という記事に、すぐに目が留まりました。リアス式海岸という言葉は小学校の社会の授業で習って知っていましたが、波が静かである故に、筏を使用した養殖業が発達したということを習った記憶があるぐらいでした。

畠山さんによれば、美味しいカキやホタテを育てるには、湾に注ぐ川の上流の森が大切だということなのです。彼はそれに気づき、もう25年も前に広葉樹の森づくりを始められました。毎年、森の広葉樹の葉が落ち腐葉土が形成され、その豊かな養分が川から海に供給され、ホタテの餌となる植物プランクトンが増える、このような循環を今回初めて知り、わくわくする思いがしました。そのあたりのことをもっと学校で教えてほしかったなあと思いました。そうしたら理科と社会は私の中でつながったのに…、などと自分勝手に思ったりしています。

震災直後の大津波で、海は一瞬にして死んでしまったかのように、生物がすべて姿を消してしまうのですが、驚いたことに、一か月もするとたちまち、餌になるプランクトンが増え始めたのです。食物連鎖が再生し始めた ― つまり、森林の腐葉土から溶け出てくる養分が豊かに海に流れ込む、その結果、プランクトンが増え始める、この循環が、このリアスの海辺ではあの後、間もなく始まっていたのだと知り、とても感動しました。畠山さんがおっしゃいます。津波によって壊れたのは人間が造ったものだけ、川と森はそのままだったと。そして、今、浜ではもう、ホタテの水揚げが始まっているようです。

どんな逆境に見えることにも淡々と優しく、自然の営みはその豊かな循環を繰り返し、命を生み出している―そのことを知ることは、この地球上で、ホタテもカキも、森も、海も、私たち生きとし生けるもの皆が一緒に生きていくために、人間である私たちが今、進むべき道、行うべき選択を、責任をもって行うことです。それはすべての命が共に生きる道であり、再生への道、未来に向かう道です。今を生きる私たちが、その道を間違えることなくきちんと選びとって進みたいと改めて思います。

Reference:
畠山重篤 「リアスの海辺から」あけぼの 2012. 7. pp. 10-11. 聖パウロ女子修道会

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