エッセイ 英国の母親たちの言葉を追いかけて(その2)

英国の子どもたちと話していて、私が何よりも目を見張るように驚いた点は、だれに話すのにも、相手が大人であろうと子どもであろうと、「自分」と「あなた」の「対等な関係」の上で成り立つ「かかわる力」でした。自分を一個人として、その存在を存在させている、大げさな言い方をすれば、そのような感じ。それも、オクスフォードの町の、state schoolと呼ばれる地域の子どもたちで構成されている、ごくありふれた地元の公立小学校にいる、おそらくはごく平均的な子どもたちの言語表現だったのです。たとえば、小学校の校庭で私を見かけると、子どものほうからファースト・ネームで’Hi, Yoshiko!’と親しく声をかけてくれる。ファーストネームで呼びかける、これは英語文化圏ではごくごく当たり前ですが、やはり、6歳の子どものほうから、朝一番ににこやかに手を振りながら、このように爽やかに  呼びかけられると、日本文化の中で育った私はうれしいような、驚くような、そんな感じです。そして、私の息子たちと楽しそうに遊ぶ傍ら、ふと近くにやってきて、「この台所はとってもいいにおいがするね、ヨシコ。何かを焼くにおいじゃないかな? 今日はいったい何を夕食にしようとしているの?」としっかりとそのように問われれば、面食らってしまうのは、おそらくその界隈では私だけでしょう。そして感動もしたのです。この「対等性」はいったいどこから来るものでしょうか?

たった6歳でこれほど堂々と大人に向き合って、自分のことばで豊かに自己表現ができる子どもたちは、一体どういう教育を受けてきているのだろう? それを素直に知りたいと思ったのです。私はどうしても知らなければならないと感じ、このキーを「母親」という社会的存在に探ってみることにした。母親が、おそらくはキーパーソンではないか? なぜならば、ごく少数の民族を除いて、一般的には、子どもという存在は、生まれてから最初に接触する大人が母親(あるいはそれに代わる保護者)であり、彼らの社会化が進む段階でもっとも多くのことばかけを受けるのも、母親からだからです。 英国の子どもたちは、いったいどのような「ことばかけ」を母親からされているのだろうか。その対照として日本人の子どもたちはどうなのだろう。母親たちは、いったいこどもに何をどのような言い方で子どもたちに話しかけているのだろうか。限りなく興味がわいてきました。

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