エッセイ 愛するということ-マタイス師が残したもの

お久しぶりです。ちょっと長らくお待たせしてしまいました。申し訳ありません。この1週間も非常に盛りだくさんの校内での様々な取り組みや対外行事があり、飛ぶように時間が過ぎていく日々でしたが、私には生涯忘れることができないことが起こり、そのことを深く味わった一週間でもありました。

5月11日、私が敬愛してやまない一人のイエズス会の神父様が天に召されました。キリスト教では、「死」は決して忌み嫌うものではありません。むしろ、神様のみもとに近づき、そこで体の苦しみや限界、内外束縛していたすべてのものから解放され、魂が本当の安息を享受する時と捉えます。そしてその安息は、終わりのないもの、すなわち永遠につづく安らぎなのです。ですから、すべての人にいつか与えられている「死にゆくこと」は、決して起こってはならない悲しいことではなく、この世での生のフィナーレであると同時に、神のみもとでの新たな命のプロローグなのです。

しかし、この世に残された者は、その人ともう二度と、この世で会うことができない、その別離が悲しくないはずがありません。私の信仰が、彼の永遠の安息を確信していたとしても、実際に、彼と過ごした日々、語り合った時間、飲んだり食べたり笑い合ったりしたひと時が宝物のように大切であればあるほど、その宝物をしっかりと胸に抱きながら、だれをもはばからずに泣きたくなるのです。そして私はひどく泣きました。

日々京都を離れることが許されない時間の連続でしたが、5月15日の通夜の儀に、東京都内四谷のイグナチオ教会に駆けつけることが許されました。午後7時半の式にギリギリ間に合う時間に列車にのり、京都に11時半過ぎに着く最終便で帰ってくるというスケジュールを話していた当日の朝、夫が言いました。「本当にそんなタイト・スケジュールで行くの?マタイス神父さんはそこにはもういないんだよ。」そして、私は答えました。「神父様がいないことはわかってる。もう上智のキャンパスにもどこにもおられないんだということはよくわかってる。でも自分のために行かなければならないの。」神父様がここに生きておられた証しを、彼の命のフィナーレを、彼を愛してやまない人々が一緒に集って感じることができる最後の日なのだとしたら、私は万難を排して行くことしか考えられませんでした。夫は、「その人がどのように人を愛する人だったのかということは、結局その人が亡くなる時にわかるんだね。残された人々によってわかるんだね」と感慨深げに言いました。その通りだと思います。彼は「愛する人」でした。豊かに、時には愚かすぎるほどに。彼ほど深く、細やかに、一人ひとりときっちりとかかわりをもち、それを長く大切にでき、そしてどんどん広がり、人と人の輪を愛でつなげ、豊かな分かち合いを至るところで持っていた人はめずらしい。一人ひとり、あまりにも細やかに大切にされたものだから、おもしろいことに、彼に愛された人のその多くは、結局自分が一番愛されていると思っていたことでしょう。私もそのうちの一人です。

あの晩、イグナチオ教会に入ったとたん、私は彼の棺の前に駆け寄りました。その時に棺によりすがって泣いていた人たちは皆、私のように愛された者たちでした。私のように愛された人は私だけでは当然なかったのだと知ることは、彼の豊かな愛深さをますます敬愛に満ちたものにしてくれました。そして、私もそのように人を愛する人にならなければいけない、マタイス師の弟子ならば、そうありたいと心から思いました。きっとあの日そこに集まった人々の多くが、そのように思ったに違いありません。最後の時に、人にそのように思わせる彼は、生涯優れた宣教師だったと言えます。

生前、彼はよくこう言いました。人の幸せを願わずして、自らの幸福はないんだよと。他者を幸福にしてこそ、自らが幸福になれるんだ。 彼の死に際して、締めくくりに彼が与えたメッセージは、一人一人をしっかり愛することが、本当に生きることなのだということでした。彼と歩き、彼と語り、彼と笑い、彼と食事したすべての時に、私を含めた多くの方々が得た安心感、信頼、くつろぎ、解放感、そして何よりも楽しかったあの一瞬一瞬がきらめいているからです。彼が示した弱者の思い、貧しい人たちとの連帯の生き方、これらにゆるぎない価値のきらめきを見たからです。このきらめきこそは、聖書の中のイエス、弟子たちがイエスと共に過ごした時間を彷彿とさせます。弟子たちの、師イエスと共に生きた時間は、彼らの一人ひとりの後々の生涯を、確実に決定づけたのですから。

CanoScan+LiDE+40この写真は、神父様との最後の写真になりました。今年1月、ノートルダムの仲間たちと四谷にて。皆と食事を共にすることが大好きだったから、彼らしい一枚です。最後のお仕事となった本学院の理事というお務めも、体力をリスクにかけながら誠実に尽くしてくださいました。心より感謝いたします。



マタイス・アンセルモ師の永遠の安息を祈ります。私にとって、最高のリーダー、慈しみ溢れる宣教師、透明な愛に満ちた人、そのような存在に出会わせて下さった神様に心から感謝します。

神父様、天国で待っていてね、また会う日まで。

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