エッセイ 花はなぜ美しいか
私がノートルダム女学院の生徒だった頃、いつも教室の後ろの黒板に、担任のシスターが折にふれてことばを書いて下さっていました。聖書のことば、詩人の作品、あるいは祈り。今から思えば、私の若かりし日々の魂にどんどんと栄養を送って下さっていたのです。
その中で、私が決して忘れることができない詩があります。命がみなぎっているこの春の一日に、皆様に分かち合えることを嬉しく思います。
花はなぜ美しいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ
八木重吉
この詩から八木重吉という詩人を知りました。29歳の若さでこの世を去られたことを後に知りました。1行か、多くても5行ぐらいまでの短い詩は、ほとんど覚えられてしまうぐらいです。彼の透明な、単純な、そして伸びやかで、とてつもなく強い神への信仰を仰ぎ見る思いがします。
この黒板での出会いをきっかけに、私は八木重吉の詩を覚えてしまうほど読みました。中でも私が愛してやまない2編をお届けします。
○小さなカードにしたためて、毎日の聖書に挟んでいる言葉はこれです。
ゆきなれた路の
なつかしくて耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい
○自分自身の生き方への永遠の憧れはこの詩が表現してくれます。
空のように きれいになれるものなら
花のように しずかに なれるものなら
値(あたい)なきものとして
これも 捨てよう あれも 捨てよう
現在、ノートルダム女学院のすべてのHR教室と、特別教室の黒板には、聖書のみことばがかけられています。どれ一つ、同じ文言はありません。今度のブログで、そのうちの幾枚かの写真をお届けします。きっと、若かりし頃の私のように、いつまでも心の中にあり続ける一句を、生徒たちが自分で見つけてくれればと願っています。