クリスマス − 最も小さな人々に告げ知らされた出来事

_DSC3438クリスマスが近づいています。現在、学校の正面玄関には、小さなクリブセット(馬小屋の模型)と、クリスマス・ツリーが置かれています。そう言えば、私が子どものころ、家の近くの教会では、本物に近いような馬小屋が設けられ、人の実寸のマリア様やヨセフ様、そして羊飼いたちが飼い葉桶を囲むように佇んでおられて、そばを通るたびに胸がときめいたものでした。そして飼い葉桶の赤ちゃんは、24日クリスマス・イヴの深夜にお生まれになるので、その時まで飼い葉桶は空っぽのままだったのです。

そんな昔の思い出があるなか、本校のこのクリブセットの小さな赤ちゃんは、あまりにもかわいく、生徒たちに早く見てもらいたくて、24日を待たずして小さな飼い葉桶の中に大切に置くことにしました。はやばや、クリスマスの到来です。
飼い葉桶の赤ちゃんは、まぎれもなく「私たちの救い主」であるイエス様です。もう月が満ちるというのに、泊まるところもないマリアの初産、その出来事を最初に知ったのは、極貧の中、寒さで震えながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。

クリスマスの意味を考える時、「赤ちゃん」という存在でこの世界に来られたイエスと、その知らせを最初に聴いた羊飼いという存在、この二つは大切なポイントです。

まず、救い主のこの世界での登場の方法です。彼は、流星と共に現れたカッコいいスーパースターではなく、だれかのケアを絶え間なく必要とする「赤ちゃん」という姿でこの世に来られたのです。助けを必要とする弱い存在として、愛情と信頼を、その存在そのもので誘い(いざない)ます。赤ちゃんを囲む人々は自ずと優しく、心ほどかれていく―人々からそのような力を引き出す存在である救い主なのです。

次に、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった!(ルカによる福音書2章11節)」と、主のみ使いに宣言された「あなたがた」は、極寒の荒野で、だれにも相手にされず、羊の群れの中に紛れていたような無名の人々でした。その彼らにとって、本日お生まれになった救い主は、「自分たちの」ために来られたと知るのです。「さあ、ベツレヘムへ言って、主が知らせてくださったその出来事を見て来よう(ルカ2:15)」と、羊の群れをその場に置いて、彼らをベツレヘムへと急がせたその緊急性は、主の使いがかれらの「そばに立ち」「主の栄光が彼らを覆い照らした(ルカ:2:9)」、つまり、初めて自分たちの存在に、光が照らされたという彼らの感動が伝わってきます。この世を動かしているように見える権力、経済力、名声とは全く無縁の場所-馬小屋、飼い葉桶、荒野、それらの場所で、2000年前、キリスト・イエスによる救いは始まったのです。

イエスご自身が、助けを必要とする存在としてこの世に来られ、まず最初に連帯した人々は、このような存在、すなわち、助けを必要としている最も小さく弱い人々であったということ、このことをクリスマス前の待降節に思い巡らしています。

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