ノートルダム女学院の
教育と社会を結ぶ交差点

体験型・実践型学習

テーマ1

留学中の生徒を
帰国させる責任

不安を乗り越え大きな経験を得た
生徒たちの奮闘

2021.04.05 配信

すべての生徒を無事に帰国させるために

中村 良平

Ryohei Nakamura

教頭/グローバル英語コース長

大学院修了後、4年の企業勤務(システムエンジニア)の後、2007年より本校へ。ICT主任、グローバル英語コース長、21世紀教育開発推進室長を経て、2020年4月より教頭。教員歴14年、教科は英語科・情報科。

星野 恭子

Kyoko Hoshino

英語科 グローバル英語コース
1年担任

教員歴:25年 担当教科:英語 グローバル英語コース副コース長・英語科主任 趣味:チェロ、音楽鑑賞(クラシック、嵐、UKR&Bなど)、整骨院通いなど。

急遽帰国を余儀なくされた留学
不安と孤独が生徒たちに残したもの

ノートルダム教育の核をなす留学
感染拡大で、急遽帰国の途に

ノートルダム女学院には、数多くの海外研修・留学プログラムがある。在学中に海外に飛び出し、日本とは異なる生活や文化、価値観に触れながら、実践的な英語運用力を身につける。それは、ノートルダム女学院が目指す教育にとって、欠くことができないカリキュラムのひとつだ。

留学先はカナダ、アメリカ、ヨーロッパなどバラエティ豊か

もちろん2020年も、多くの生徒が未知の体験を求め、海外へと旅立っていた。そこに突然降りかかったのが、このコロナ禍だ。

■ 2020年3月2日休校決定時に海外留学していた生徒たち

学年 渡航先 人数 出発時期 状況
高2 カナダ・バンクーバー 1名 2019年1月~ 2020年3月15日
予定を繰り上げて帰国
高1 イギリス・チェルトナム★ 5名 2020年1月~ 2020年3月23日
予定を繰り上げて帰国
(当初4月4日帰国予定)
カナダ・ヴィクトリア 1名 2020年1月~ 2020年3月23日
予定を繰り上げて帰国
カナダ・バンクーバー★ 21名 2020年1月~ 2020年3月24日
予定を繰り上げて帰国
(当初3月27日または6月27日帰国予定)
ニュージーランド・オークランド★ 1名 2020年1月~ 2020年3月25日
予定を繰り上げて帰国
(当初3月29日帰国予定)
アメリカ合衆国・ジェファーソンシティ
(ミズーリ州)☆
1名 2019年8月~ 2020年3月25日
予定を繰り上げて帰国
カナダ・バンクーバー 1名 2019年8月~ 2020年8月帰国
  • ※★の3つのプログラムは学校主催のプログラム、または学校が紹介したプログラムであり、本校が主体となって旅行社と連携を取り、緊急帰国手配
  • ※★のカナダ・バンクーバー組は、当初、迎えの添乗員を派遣して帰国を案内してもらう予定だったが、日本からカナダへの入国ができなくなったため、現地スタッフが空港まで送り、生徒たちだけで飛行機に搭乗して帰国
  • ※★および☆(本校姉妹校への1年留学)については、関西国際空港及び大阪伊丹空港まで本校教員が迎えに行く対応をとった
  • ※帰国後は2週間の自宅待機を指示、全員健康に異変はなかった

多くの生徒が留学したバンクーバー
このままでは帰国できない可能性も

日本では、新型コロナウィルスの感染は、2月下旬から徐々に拡大した。一方、欧米各国の感染拡大スピードは日本の比ではなかった。たとえばアメリカ・ニューヨーク州の場合、感染者が初めて確認されたのは3月1日(現地)だったが、わずか20日後には感染者は1万人を越え、3月22日には「自宅待機令(Stay-at-home order)」、いわゆる「ロックダウン」が出されている。
生徒が一番多く留学していたのは、カナダ・バンクーバーだ。21人が滞在し、同じエリアの5つの学校に別れて留学していた。2020年1月に出発し、3カ月間滞在する予定の生徒と6カ月間滞在する予定の生徒がいた。

カナダ・バンクーバーでの留学生活のスナップ

「当時の現地の様子は日本より深刻でした。『スーパーにものが並んでいない』、生徒たちからはそう聞いていました。それでも2月頃の彼女たちは、本音では少しでも長く現地にいたいと思っていたようです。ですが日を追うにつれ、『先生、ほんまにマズイです・・・』と危機感を募らせるようになり・・・。あっという間に生徒自身も『もうこれ以上はここにいられない・・・。留学を途中で切り上げて帰国するしかない』と思うようになってきました」(星野)。
一方、学校では、刻々と悪化する状況への対応に追われる日が続いていた。
多くの留学生を送り出していたグローバル英語コース・コース長の中村は、その時を振り返る。「このまま留学を続けさせれば、日本に帰国できない事態も起こり得る。送り出した以上は、責任を持って安全に家に帰らせないといけない。彼女たちが帰国するまでの3週間は、僕の人生でこれまでも、たぶんこの先もないというぐらい、電話とメールに追われました」(中村)。
星野と中村の「帰国させる責任」を果たす闘いが始まった。

添乗員のカナダ入国が不可能に
出入国の手続きはすべて生徒だけで

カナダ・バンクーバーからの帰国は、当初、帰国に付き添う添乗員を現地に派遣し、生徒を日本までガイドしてもらう予定だった。しかし、現地の感染が拡大した結果、日本からカナダに入国することができなくなった。とにかく生徒を無事に日本にたどり着かせる。タイムリミットが迫るなか、ミスが許されない帰国の段取りと生徒への指示に奔走した。
「残された時間はわずかです。まずは現地のガイドに、生徒を現地の空港まで送ってもらう。でもガイドができるのはそこまで。搭乗手続きをして荷物を預け、手荷物検査場を通り、所定のゲートから搭乗し、日本に着いたら入国審査を受けて、荷物を受け取る。全部、彼女たちだけでやらなあかんのですよ。空港では荷物をチェックインして搭乗口まで行って、飛行機の中はこう過ごして、空港に着いたら旅行社の方がノートルダム様という看板を持って待ってくれているからそこに集まるように、と指示する。『気をつけて帰ってくるんやで。みなさんならできる!』。そう励ましながらの帰国です」(中村)。

現地の生徒の不安と孤独を和らげた
Zoomの「留学生ホームルーム」

帰国の手続きを中村に一任した星野は、生徒や生徒の保護者へのフォローに回った。
「現地の生活は、日本以上にナーバスだったと思います。『外に出てはいけない』『友達に会うのも避けて』。ホストファミリーから、そんな忠告を受けた生徒もいました。生徒の多くは海外を経験していました。が、それは『旅行』に近い経験。現地で生活したわけじゃない。バンクーバー市内には同級生がいることもわかっていましたが、顔を見ることもできません。一番つらかったのは、せっかく友達になった現地のクラスメイトに、お別れの挨拶もできずに帰国してしまうこと。そういう状況だと、大人でも孤独になりますよ」(星野)。
そんな生徒たちをつなぐために、星野はZoomで留学生が集まるホームルームを始めた。
「みんなの顔を見て、おしゃべりして。愚痴もこぼしながら、一緒に支え合い励まし合いながら帰ってきて欲しい。その思いから始めました」(星野)。

Zoomをつないで留学中の生徒たちをサポート

保護者からの相談窓口も星野が担当した。「ご家庭の不安も大きかったと思います。これはどうなりますか? あれはどうでしょうか?正直に言えば、私もすべての状況がわかっているわけではありませんから、お答えできないことも多いんです。それでも、お答えできることできないことのすべてをお話し、その不安に寄り添うことが大切、そう思いました」(星野)。

日本に帰国できる最終便が到着!
3月23~25日は空港に通いづめ

3月23・24・25日の3日間。アメリカ、ニュージーランド、イギリス、カナダから、留学した生徒を乗せた飛行機が、関西空港あるいは伊丹空港に到着した。日本に帰国できる最終便がほとんどだった。
中村と星野は、便の到着時間あわせ、毎日空港に通った。校長の栗本も付き添った。
「空港で到着便のアナウンスを聞いては、そのたびに心がはやる。笑顔でゲートを出てくる生徒たちの顔を見たときは、本当にもう、『帰ってきてくれてよかったぁ』と涙が出ました。直前のZoomのホームルームで、ちょっと熱っぽいとか喉が痛いと言っていた生徒には、ゲートを出たその場で、『体調は?今はどう?熱はない?』と思わず質問攻めにしてしまい・・・(笑)」(星野)。
帰国後は、2週間の自宅待機を指示した。全員、健康に異変はなかった。桜が散り終わる4月中旬、星野と中村にとっての一息つける春が、ようやく訪れた。

留学説明会で語った「自分の弱さ」
その姿を見て、成長を実感

全プログラムを終えることができず未消化感を持って帰国した生徒たち。では果たしてこの留学は、生徒たちにとって何を残したのだろう。
5月30日には、2021年1月から留学に出発する予定となっている高校1年生に対し、留学説明会が開かれた。
「全生徒の登校再開は6月1日から。そのため当初は、留学した生徒に体験談を語ってもらうプログラムは予定していなかったのですが、『今回の海外留学を経験した生徒にこそ、感じた本音を語ったもらったほうがいい』と考えて生徒に声をかけました。みんな快諾してくれました」(星野)。

帰国後、留学説明会で後輩のために体験談を語る

生徒たちは、現地のホームステイ先や学校での出来事、さらには今回の留学を通じて気づいた「自分自身の弱さ」を正直に話した。
「原稿を読むのではなく、自分の言葉で語る。どんなに詳しい留学説明書よりも何倍も力強く高校1年生に伝わったと思います。さらに、私にとって感動的だったのは、リハーサルで見つかった修正点が、本番までの短い時間の中で見事に修正されていたことです。時間がなくても、その場その場で自分の置かれている環境を受けとめ、臨機応変に判断し行動に移すことができる。そんな柔軟な対応力、しなやかな強さというのは、予想通りにいかないことの方が多い留学生活の荒波を乗り切ってきたからこそ、身につけることができたもののひとつだと感じました」(星野)。

ほんの少し背伸びして自ら動けば、
「未経験」は「経験知」に変わる

星野には、留学前から生徒に向けて繰り返し指導してきた言葉がある。「自分から動かないと何も動かない、変わらない。何も動かないのは、自分がそこにいないのと一緒やからね」。
留学した生徒たちは、現地で日々を過ごしながら、今までの自分にはない「ちょっとだけ背伸びする意識」を持ち続けた。現地のクラスメイトにも、勇気を振り絞って声をかけた。その結果、友達にもなれたし仲間も増えた。日本から遠く離れた異国にあって、帰国できないかもしれないという不安と孤独に押しつぶされそうになりながらも、仲間を信じて仲間と一緒に日本をめざすという行動も起こした。
「未経験」を「経験知」に変える。それは誰かに準備・手配してもらってすることではなく、自らの勇気と行動があってこそ、はじめて成し得ること。
「今年留学した生徒たちは、『ほんの少しの勇気で、自分はこんなにも変われるんや』ということを、いつもの年の生徒以上に学んだような気がします。たしかに留学プログラムのすべてをまっとうさせてあげることはできませんでした。そうであっても、弱い自分と向き合いながら自分で動くことの意義や大切さにより深く気づけたとしたなら、『それだけでもう十分やからね』と褒めてあげたい。心からそう思います」(星野)。