ノートルダム女学院中学高等学校 2019年度 入学式 式辞

ノートルダム女学院中学高等学校 2019年度入学式 式辞

 

2019年4月9日

 

学校長 栗本嘉子

 

新入生の皆さん、鹿ケ谷の桜が本当に美しい今日、ここに皆様をお迎えできることを心から私は嬉しく思います。ノートルダム女学院中学高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様のご入学、誠におめでとうございます。今後、様々な場面で、ノートルダム教育の充実のために、保護者様のご協力を頂戴することと思いますが、その節にはどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

さて、改めまして、新入生の皆さんへ、本日この特別な時に、是非私からお話ししたいことがあります。皆さんは今日、ノートルダム女学院中学高等学校という家族、ファミリーの一員となられました。ファミリーとは、偶然寄せ集められた人々の集団ではなく、同じ心で成長を遂げようとする人々から成る共同体を意味します。ここ、ノートルダム・ファミリーでは、一人ひとりが神様から愛されていることを知り、自分以外の人々のことを常に思いやり、大切にし合いながら、一緒に成長していきます。

 

ノートルダム教育をしっかりと受けたあなたが、18歳になって卒業していく時、その姿はどうなっていてほしいのかという私の願いを述べます。

 

あなたは、その時、自分が神様からこの上なく愛されて生かされていることを知り始めており、自分も他者も尊び、大切にすることができるようになっています。

 

あなたは、その時、自分の可能性を信じ、自分の内なる力を見つめながら、主体的に考え、独創的にものごとを選択しながら成長し、そして神様がみ許にお呼びになるその日まで、その成長は続くと信じることができます。

 

あなたは、その時、生きとし生けるものはすべて神様がおつくりになったものと知って尊び、社会や宇宙の仕組みの中で、自分とそれらのつながりを大切にして、他者や自然のあらゆるものと支え合い、対話的に関わるすべを知っています。

 

あなたは、その時、自分のすぐ近くで、またこの世界のどこかで、弱い立場、つらい立場に置かれている人のことを決して忘れることなく、柔和に共感する心をもっており、自分から出かけて行って、彼らの幸せのために、自分にできる限りを尽くして行動しようと努めます。

 

ある、岐阜県の小さな会社の話をしましょう。その会社は工場をもっておられますが、そこで働く方々の21パーセントの方々は何らかの障がいを抱えて生きておられる人々です。知的障がいのある方、耳が聞こえない、口がきけない、視覚障がいのある方、身体が不自由な方、それらの方々が、毎日生き生きと元気に、生きがいをもって働いておられるところが、その工場です。そこの社長さんはこう言われました。段差などの物理的障がい、偏見や誤解などの意識的な障がい、それら我々の側に存在する一つひとつの障害を取り除いていくことが出来れば、すべての人々は問題なく働ける。障がいをもつ人のことを正しく知り、地域社会と連携してサポート体制をつくれば、すべての人は生きがいをもつことができる、職業人としての誇りをもてる、と言われました。「偏見や誤解などの意識的な障害」、それを健常者と言われる我々の側から取り除くことは、むしろ物理的な段差を取り除くよりは、難しいかもしれません。なぜならば、人間は知らないこと、わからないことに対して臆病であり、思い込みや偏見に基づいて自己中心的に判断しがちだからです。

 

本校が創立されて初期の頃から始められたボランティアスクールは、今年で45回を迎えますが、まさしく、私たちが偏見から自由になるための、思い込みから解放されるための、他者の視点に立ち直すための、本当に人を大切にするとはどういうことかを身体でわかるための、大切な取り組みです。車いすに実際に乗ってみることによって、また、車いすを使っておられる多種多様な障がい者の方々と共に食卓を囲み、共に食事にあずかることを通して、私たちが思い込みや固定概念から自由になって、相手の必要を素直に見出そうとする貴重な瞬間が訪れるのです。そのことは、このノートルダム女学院が現在のように世界に開かれた、すなわち、あらゆる枠組みを超えて真の交わりをもとうと努力する、本当にグローバルな学校へと成長を遂げるに至った、いわば土台であります。「グローバル」とは、当たり前と思いがちな固定概念を崩すことから始まるからです。世界のすべての人が、人としての尊厳と誇りをもって、与えられた命を生き生きと生きる、この、神様の望みを、私たちは常に大切に学び続けてきたし、これからも学び続けて、本当にグローバルな人へと成長を遂げて参りましょう。そうすれば、今世紀、いかに予測不可能なほどの速度でIT化や人口知能が進化したとしても、時代がどれほど弱い人々を置き去りにするようなことがあっても、私たちは常に、敏感で優しい眼をもち、神ご自身がその似姿に創られた私たち人間の限界をわきまえ、神様の手足となってよい働きができるでしょう。それがノートルダム教育の掲げる「徳と知」の精神であります。

 

ノートルダム女学院があなたに願う生き方とは、具体的にはこのようなことを意味するのです。だからノートルダムで学ぶあなたは、まず、毎日の日常を丁寧に生きることから始めます。乱暴な言葉をつかったり、人の悪口陰口を言ったり、人の嫌がること、人が悲しむことは決してしません。まずは、自分から優しく微笑み、挨拶することから、その人との関わりを始めます。人から自分にしてもらいたいことを、まず、自分からその人にします。神様が既にあなたの内側にくださっているそれぞれの光を見失わないように、闇のあるところにその光を与え、諍いあるところにゆるしを、分裂しているところには一致を、誤っているところには真理を、絶望のあるところに希望をもたらす者となるように成長を続けていってください。それが、校長としての私の願いです。

 

さあ、新しい日々が始まります。みんなで力を結集して、この世界で光となる、ノートルダム女学院中学高等学校をつくって参りましょう。

 

神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますように祈ります。

 

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