ノートルダム女学院中学校 2018年度 卒業式 式辞

ノートルダム女学院中学校2018 年度卒業式式辞


2019年3月20日
学校長栗本嘉子

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様、高いところではございますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。三年間、ノートルダム教育の心に共感し、信頼してご同伴頂いたことを、心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。また大塚乾隆神父様を始めとするご来賓の皆様、本日は、ご多用の中ご臨席賜り、心より感謝申し上げます。
本日、皆さんは、三年間のノートルダム教育を終えられました。ここにいる皆さんの大半は、さらなる三年間をノートルダムで過ごされますが、中には、今日、本校を旅立っという方々もおられます。その方々もご一緒に、かけがえのないここノートルダムでの三年間の学びの日々を、どうか、ー生の糧としていただきたいと思います。 皆さんは三年前の四月の入学式に、初々しい姿で私から校章を受け取られた時、私は、皆さんに知ってほしいことを三つ、申し上げたと記憶しています。それを憶えていてくださっていますか。

ーつめは、あなた方は一人ひとり、あなたを尊い大切な存在としておつくりになった神様から、既にこの上なく愛されて存在しているということでした。

二つめは、こうして神様から特別に愛されているあなたは、ただ存在しているのではなく、神様から、光り輝く可能性が与えられているということです。あなたの内側に秘められた可能性を信じて、あなたの素晴らしさがいったい何であるかを探し求め、その可能性に向かって一生懸命に努力することが、ノートルダムの生徒の姿である、ということでした。 そして三つめは、この世界であなたは決して一人ではなく、多くの人や自然の中で共につながり、支え合いながら生きているということを知ってほしいということでした。支え合って生かし合う私たち自身のこと、そして私たちが住む地球のことをよりよく知り、神様のおつくりになった大きなこの宇宙の中で、その仕組みや神秘にふれたその感動を原動力に、どうか学び続けてほしいと願いました。これらの、あなたに知ってほしい三つのことは、決してその探究に終わりがあるものではなく、生涯かけて知り、求め続けてほしいことがらであります。そして同時に、その探究が本学の建学の精神「徳と知」の中身でもあるのです。

 

さて、皆さんの卒業年度に当たるこの2018年度もいろいろな豊かな学習が展開されましたが、その中でも特に、「アンネ・フランク・パネル展」が、本校和中庵でーカ月にわたって開催されたことは、本校にとって大きな出来事の一つでした。上智大学からスタートして、日本全国を旅して第100回目を記念する本展が、ノートルダム女学院で開催されることになったことは、新聞でも大き<取り上げられました。今年度冒頭四月、この講堂で、オランダはアムステルダムのアンネ・フランクハウスの館長様の講演があり、六月のレセプションの時にはアムステルダムとスカイプで通信し、副館長と皆でお話をしたことを憶えておられると思います。私は、この展覧会の会期中、和中庵の畳のお部屋にアンネのいろいろなパネル写真が設置されている様子を見て、アンネという皆さんと変わらない年恰好の少女が、実際に京都の鹿ヶ谷に滞在しに来てくださったのだと深い感銘をおぼえました。そして思わず、「アンネ、ようこそ!はるばるとよ<ここまで来てくださったわね」と写真を見ながら涙がこぽれそうになりました。
アンネ・フランクは、現在もし生きておられたら、今年ちょうど90歳になられるところです。ご存じのとおり、1929年ドイツのフランクフルトで生まれ、1945年ナチス・ドイツのペルゼン強制収容所で16歳になる前に亡くなっています。アムステルダムでの隠れ家に棲んだ二年間に書かれた日記は、その後およそ70か国の言語に訳され3100万部を売り上げる大ベストセラーとなり、後にユネスコの世界記憶遺産にも登録されました。

 

もしも、あの戦争が起こっていなければ、もしも、ホロコーストなどなければ、アンネは皆さんと同様に青春を謳歌し、若者らしく勉強に勤しみ友情を育み、やがては素晴らしい大人になられたことでしょう。しかし現実は、アンネは15歳で亡くなり、アンネの日記だけが残った。あの日記が、しかしながら、これほどまでに古今東西の人々の心を打ったのは、人の命を命として扱うことを止めてしまうあの戦争という悲惨な状況の中にあって
も、アンネはアンネらしく、若者らしい心と感性で精一杯その短い人生を生き抜いた、日記はそのことの証しだったからです。アンネは自分たちの身の安全が危うくなりつつある日記の最後の辺りにこう書いています。 「今でも私は信じています。たとえ、いろいろなことがあったとしても、人間の本性はやはり善なのだ」と、このように書いています。戦争という、人間の仕業のうちに最も悲惨な出来事の中に、それでもその中で、人間らしく輝き、人間らしく善を信じ、人間としての生を全うすることの尊さと素晴らしさを私たちに教えてくれた人の一人であると思います。皆さんは、特に、この方を本校にお迎えした年に中学を卒業されるというこのご縁も、どうか心に刻んでほしいと思います。 本校で学ばれた

皆さんは、神様から頂いた命、自分の命も他者の命も、こよなく大切にすることがどんなに大切なのかと日々学ばれてきました。「あなたは、世界にたった一人しかない尊い大切な存在として、あなたをおつくりになった神様から、既にこの上なく愛されているのだ」という冒頭に述べたとおりです。神様しか与えることのできない私の「命」を大切にするとは、具体的に言うと、「今」を大切に生きるということです。それは、私たちに「生きてほしい」と願われて命をくださった神様のことも、自分のことも、そして他者のことも、大切な存在だと心から思い、交わり、関わり、対話を始めるということです。対話の内に生まれる共感を心に保ちながら、いかに些細なことに思えることでも具体的に行動していく勇気をもつことです。これはカトリック学校である本校が大切にしている行動指針だったと皆さんは今お気づきになるはずです。

 

おしまいにあたり、一つの聖書の言葉をお贈りします。「あなた方は世の光である(マタイ5章14節)」。あなた方の光を人々の前で輝かしなさい、とィエス•キリストは教えてくださっています。あなたの中に既にあるこの光を、自らが見失わなければ、小さくとも輝いて、周りを照らし、闇の中で見ていた固定概念や偏見から自由になり、あるいは見えなかったものが見えて,神様の平和を実現する人になれるのです。どうか、あなた方は世を照らす光であるということを決して忘れることなく、次の新たなる三年間で皆さんのさらなる成長を遂げられますことを心から願っています。 神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますようにお祈りいたします。

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