ノートルダム女学院高等学校 2014年度卒業式 式辞

ノートルダム女学院高等学校

2014年度卒業式 式辞

学校長 栗本嘉子

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様、高いところではございますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。六年間、三年間、ノートルダムの心に共感し、ご同伴頂き、誠にありがとうございました。パウロ大塚喜直司教様、シスターモーリン和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日は、ご多用の中ご臨席賜り、心より感謝申し上げます。

さて、皆さんは第60期卒業生となられます。ノートルダムでの最初の卒業式から数えて今年が第60回になります。卒業生は1万人を優に超えました。皆さんは明日から、それぞれの社会の場、共同体の中で、ノートルダムの精神を生きておられる先輩方の仲間入りをされます。 18歳になられ、本日巣立った後は、神様によって置かれたそれぞれの場所で、ノートルダムの精神を豊かに、また創造的に生きてほしい。それが、私の最大の願いです。

ノートルダムの精神とは何だったのか。今日、巣立つ日に、今一度それを振り返り、皆で共有しておきたいと思います。いろいろな機会に、私はいろいろな表現で皆さんにお伝えしてまいりましたが、最後になる今日、これを校長からの「二つの願い」という形で、皆さんにお届けしたいと思います。

まず一つめの願いです。皆さんは、神からお一人おひとりに与えられた豊かで無限の可能性を強く信じてほしいということです。神の似姿に作られている私たち人間は、まず神から特別に愛され、慈しまれて命を与えられました。神から「生きよ」と言われ、私たちが命を受けた時、同時に一人ひとり個別に、その使命をも与えられました。ノートルダム女学院での三年間、六年間の教育は、その使命とは何かを探し求める旅路でした。あなたの素晴らしさが何であり、あなたはどのように人々や地球環境と関わり、どのような人間になっていくのか、その可能性を模索する旅路でありました。

私たちは、この地球共同体の一員として、お互いに支え合って生きています。聖書では、「一つのからだ」という言葉で、このことをわかりやすく私たちに教えます。「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ」と書かれている箇所を、コリント書に見つけることができます。私たちは、自分の可能性を信じて、その開花を目指しながら一生懸命生きようとする時、神に属する者として、一つのからだの一部になり、その使命を見出すのです。その時、自分に与えられた使命は、自分の利益のためではなく、他者の幸福のためにあるということ、そのために不可欠なのは、対話の心と共感の感性であるということを、ノートルダムではあらゆる機会をとおして、皆さんに伝えてきました。どうか、これからも、無限の愛を注がれる神から頂かれたご自身の可能性の開花を信じ、世界でたった一つしかないご自身の賜物を見つけ、それを使って、他者の幸福のために生き抜いてください。

そして二つめの願いです。どうか、ノートルダムで学ばれた皆さんは、自ら行動し、神様の平和のつくり手になってください。「平和を求める祈り」を、毎日ともに祈ってきた皆さんは、「平和」の意味が、単に戦争の対義語としてではなく、私たち個人の選択から成るものであることをよくご存じです。その平和は、他者や世界に開かれたものであり、創造的に勇気をもって正しい方向を選択し、行動することであるということ、必要とされている人、必要とされている場所に自らを差し出すために、「出向いていく」ための心の平和であるということを、皆さんはノートルダム教育の中でしっかりと学ばれました。

教皇フランシスコは、そのご著書「使徒的勧告 福音の喜び」の中で次のように述べておられます。

「『出向いて行く』教会とは、門の開かれた教会です。隅に追いやられている人のもとへと出向いて行くことは、やみくもに世界を駆けずり回ることではありません。足をとめる、他者に目を注ぎ、耳を傾けるために心配事を脇に置く、道端に倒れたままにされた人に寄り添うために急用を断念する。(中略)私は出て行ったことで(中略)傷を負い、汚れた教会のほうが好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さゆえに病んだ教会よりも好きです」

昨年の待降節の雨の午後、校門前のマリア像のそばに皆で建てた白い四角柱、シャローム・ピース・ポール。そこには、赤い文字で、“Peace in our homes and communities” と書かれています。「私たちの家庭に、共同体に、平和があるように」という意味を込めて。シャロームという名が表すとおり、私たち一人ひとりが、神、他者、そして生きとし生けるすべてのものとの関係を、しっかりと神様が望まれるとおりに保っていること、そのために行動する、それを、自分の近くから始め、やがては地球共同体の平和に貢献するという決意。その象徴でした。学校の登下校時、このピースポールの前を通過するたびに、自分の心を調べ、平和のないところにそれを自ら作り出すことができる人になる約束を皆さんと共有しました。

私たちの生きる現代社会は、簡単に解決することができない難しい問題が山積しています。グローバル化する世界にあって、テロの恐怖、資源の枯渇とその奪い合い、富の不平等、貧富やそれに伴う教育機会の格差、地球環境の悪化など、一言でいえば、私たち被造物の命の存続に対する脅威に押しつぶされそうです。一人の力ではどうしようもないように見える、圧倒的な負のスパイラルです。これに、いったいどのように、立ち向かっていけばよいのでしょう。

人間がおごり高ぶることをやめ、自分たちの限界を受け入れ、憎しみや復讐の気持ちを和らげ、愛と許しの心でお互いを尊び、対話を深め、ともに命の方向に向かうことは、この負のスパイラルに対して、平和のスパイラルを生み出すことになります。そして、今こそ、私たち女性がまず、神がくださった命の尊さ、育む喜び、命がつながっていくことへの希望を確信し、その喜びと希望を生きながら、それを次の世代に伝えていく役割を担っているように、私には思えてなりません。

卒業生の皆さん、このように私がこの壇上から皆さんに向かってお話しすることも、もうこれが最後になります。申し述べた校長の二つの願いをどうか心に刻んで、世界の海原に向かって勇気をもって漕ぎ出してください。神様は必ず、あなた方と共におられ、どのような困難があっても、それを乗り越える強さをあなたがたに与えられるでしょう。しばらくは、母校を忘れてしまうほどに、一人ひとりが置かれた場所でご自身の賜物を見出しながら精一杯働き、神の平和の作り手として生きてください。

神様が皆さんの前途を豊かに祝福してくださいますように祈ります。

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