ノートルダム女学院中学校 2014年度卒業式 式辞


ノートルダム女学院中学校 卒業式 式辞

2015年3月20日

学校長 栗本嘉子

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様の中学ご卒業、誠におめでとうございます。また、溝部名誉司教様を始めとするご来賓の皆様、本日はご多用の中、本校中学校卒業式にご参列いただき、誠にありがとうございます。

本日、皆さんは、3年間のここ女学院中学でのノートルダム教育を終えられました。今日はノートルダム教育があなたに伝えたい最も大切なことの一つを、この節目の時に共有しておきたいと思いました。

2012年4月、私が皆さんを初めてこの場にお迎えした入学式、私は壇上からこのように申し述べました。すなわち、「私たちは、単に偶然に集まっているのではない。ご縁があって、このように一人ひとりが呼ばれ、道のりを経て、ここに姉妹として集まったのです」、このようにお話ししたことを憶えています。それから3年の月日がたち、皆さんはすっかりノートルダム・ファミリーの一員として、お互いの名前を何度も呼び合い、微笑み合い、時には議論し合いながら、支え合い協力しあって、この共同体を創ってきました。そうです。皆さんは、この共同体の一員として、かけがえのない、大切な存在なのです。神様は、皆さん一人ひとりを名前で呼ばれ、憶えられている。失ったら探し出すまであきらめられません。そのことがこの学校でも実現しています。

そして、皆さんは、一人ひとりを大切に慈しみ愛してくださっている神から、大きな素晴らしい可能性を与えられている、その可能性は、いつか開花することを待っている、しかも誰かの喜びや幸せのために使われるため、開花することを待っている、そのことを信じてほしいということです。そしてご自身の可能性は、他者と連帯することで、より一層にその輝きを増し、神様に祝福されます。そのことを強く信じてほしいということです。

皆さんは、これまでの学校生活の中で、他者、すなわち、お友達と関わり合い、つながり合うことで成し遂げたさまざまな場面を思い出してください。そのことが本当だったとおわかりになるはずです。文化祭、体育祭、また、グループ・ワークで一生懸命協力し、一つの作品を仕上げ、そしてりっぱにそれらを社会に発信しました。自分のもてるそれぞれの力を結集した時、想像を超える輝きとなってそれを解き放つことができたことを忘れないでおきましょう。

人間は確かに、一人では決して強くはなく、むしろ、弱くてもろい存在です。時には、完全に無力であるかのように見えることもあります。日本中が大きな無力感、哀しみ、そして苦しみに覆われた東日本大震災から今年で4年が経過しました。今でも尚、復興は途上であり、癒えることのない悲しみに向き合っている人々が多くおられることを、私たちは知っています。猛威を奮う大自然の前に、私たちは確かにあの時、無力であり、多くの命の犠牲の前に、ただ頭を垂れることしかできなかった。そのことは事実であり、人間の力の限界を見せつけられたかのようでした。しかしながら同時に、報道は時を追って私たちに知らせました。あの時、あの瞬間に、一人の人が示した勇気ある行動、一人の人がとった生きるための選択、寄り添って励まし合い作り出した温かさ、泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜びながら、大き過ぎる試練の中で、それを乗り越えようと連帯し始め、目を見張るような力強さを示しました。

一人の高校生のストーリーを分かち合います。彼女はこの4周年の追悼式で、宮城県代表として追悼文を発表した方です。当時15歳だった彼女は、瓦礫に埋もれて動けない母親をどうしても助けられず、自分は見捨てて生き延びたのだと自責しながら、震災後、深く悩み苦しんだ人の一人でした。自分を責め、哀しみの癒えない彼女に、実に多くの方々が共感し励まし、国を超えてまでの対話を果たし、徐々に自分を受け入れられるようになり、そしてこのことで失ったものの大きさと同じぐらいの素晴らしいものを、自分はこれから得ていきたい、そして同じように苦しんでいる人々に自分の気づきを分かち合いたい、このようにお話しされていたのを聞き、私は人間とはなんと素晴らしい力をもっているのだろうと感動いたしました。苦しみをばねにして、一人きりではなく人々の連帯により、自分の存在を取り戻し、高く大きく成長できるようにどのような状況にあっても招かれているのだと感じました。

確かに私たちは、あの日以来、もろさや弱さという私たち人間の限界と共に、神の似姿として私たちに与えられている崇高さ、真実さ、気高さ、美しさ、強さ、優しさ、素晴らしいものを生みだしていく創造力も同時に与えられている。そしてそのこと故に、人間は連帯し合って決してあきらめず、希望を持って、試練を乗り越える勇気と力を頂いているのです。それは、神様が常に、あの時にも、私たちと共におられて、哀しむ私たちを慰めようとされ、一人ぼっちになってしまった人を探し出そうとされ、泣く人のそばでご一緒に泣いてくださっていたからだということを、私は強く信じています。

今日で、ノートルダム女学院中学校での三年間を終え、新たなステージにさしかかろうとする皆さん、皆さんのこれからの青春の時間は、煌めく宝石のような時間です。それは意外と短く、でも確かな土台となって、今後の皆さんの人生を支えるものです。どうか、今のこのかけがえのない十代の青春の時間を、心を尽くして魂を尽くして、神と他者と自己に誠をもって生き抜いてください。心から対話し、心から共感し、つながり合って共に生きる。すべてが失われても、最後に残るものは、そうやって培った心と心のつながりであり、それが神が最もお望みのことであるということを胸に刻んで、次の扉を開けてください。

 

 

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