ノートルダム女学院中学校 2016年度 卒業式 学校長式辞

2016年度 ノートルダム女学院中学校 卒業式 式辞
2017年3月21日 
学校長 栗本嘉子

_DSC1015卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様の中学ご卒業、誠におめでとうございます。また、川邨裕明神父様を始めとするご来賓の皆様、本日はご多用の中、本校中学校卒業式にご参列いただき、誠にありがとうございます。

本日、皆さんは、3年間のノートルダム教育を終えられました。ここにいる皆さんの大半は、さらなる3年間をノートルダムで過ごされますが、中には、ノートルダムを今日、出発するという方々もおられます。その方々も含めて、皆さんのかけがえのないここノートルダムでの3年間の学びの日々を、どうか、一生の糧、滅びることのない宝としていただきたいと思います。

皆さんがこの3年間、この女学院で受け取られた一生の糧、滅びることのない宝とは、いったい何だったのでしょうか。今日は、それを皆さんと今一度思い起こしてみたいと思います。

皆さんは3年前の4月の入学式に、初々しい姿で私から校章を受け取られた時、私は、あなた方に知ってほしいことを三つ、申し上げたと記憶しています。それを憶えていてくださっていますか。一つめは、あなた方は一人ひとり、あなたを尊い大切な存在としておつくりになった神様から、この上なく愛されて存在しているということでした。

二つめは、こうして神様から特別に愛されているあなたは、ただ存在しているのではなく、神様から、光り輝く可能性が与えられているということです。あなたの内側に秘められた可能性を信じて、あなたの素晴らしさがいったい何であるかを探し求め、その可能性に向かって一生懸命に努力するあなたを、本校はこの上なく大切にしてきました。

そして三つめは、この世界であなたは決して一人ではなく、多くの人や自然の中で共につながり、支え合いながら生きているということを知ってほしいということでした。支え合って生かし合う私たち自身のこと、そして私たちが住む地球のことをよりよく知り、神様のおつくりになった大きなこの宇宙の中で、その仕組みや神秘にふれたその感動を原動力に、どうか学び続けてほしいと願いました。これらの、あなたに知ってほしい三つのことは、決してその探究に終わりがあるものではなく、生涯かけて知り、求め続けてほしいことがらであります。

ところで、皆さん、最初に申し上げたこの神様の愛。神様から愛されているからこそ、あなたの存在は尊い、あなたの存在は光り輝く。この神様の愛とは、いったいどんなものなのでしょう。神様から愛されているとは、どういうことなのだろう。一番大切なものなのに、もしかしたら神様の愛という言葉は、ここに入学して3年経った今でも、よくわからないと思われていたら、どうか耳を傾けてください。

 

_DSC1022神様の愛とは、英語でいうなら Love of God ですが、しばしば Grace という言葉でも表されるものです。Grace は、祝福とか、恵みという言葉でも置きかえられるでしょう。その神様からの恵みと言えば、ずっとわかりやすくなりませんか。神様の恵みは、あなたが自分から求めようとしてもらえる、というよりは、与えられるものです。お金を出して買うこともできないし、だれかから奪うこともできない。自分は何もしていないと思っているのに、気がつけば与えられているもの。たとえば、あなたの命は神様の恵みであるし、毎日のお食事が美味しいことも、恵みであるし、あなたの大切なお友達の存在も恵みです。あなたは一生懸命ほしいと願ったかもわからないけれど、気がつけばそばにいてくれた、そのような友人の存在は恵み以外の何でもありません。だれかがあなたを大切に想ってくれている、それも神の恵みならば、だれかをあなたが大切に想っている、それも恵みであります。あなたはきっと誰かを大切に想っているでしょう。そのあなたの想いは、神の恵みなのです。

今申し上げたような、これまでにあなたに向かって絶え間なく降り注いだ、すべての素晴らしいこと、真実のこと、優しさ、感動、そしてもしかしたら苦しみ、悲しみに至るまで、それらは偶然たまたま起こったことではなく、神様とあなたの間で意味をもって起こり、神様の愛の中ですべてが真実であったということ、そして大切なことは、それをあなたが信じて、その恵みの中で生きていくことができるかどうか、ということです。これを信じて、その恵みの中であなた自身を他者に向かって開くならば、生涯神様はあなたと共に、いつもいてくださいます。そのことを女学院は命をかけてあなた方に信じてもらいたいのです。

ここに聖書の一節があります。フィリピの信徒への手紙4章8節より

「終わりに兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することばあれば、それを心にとめなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなた方と共におられます。」

皆さん、あなた方は決して一人ではない。この神の愛を信じようと生涯をかけた先輩の方々、また世界に広がる私たちの仲間たちを、私たちは姉妹として既に知っています。この卒業式を温かく見守ってくださっているノートルダム教育修道女会のシスター方は、この学校を、その目的で建て、その教育に生涯を駆けられた方々です。私もそのお蔭で神様の愛にふれました。そして今あなた方が日々学んでいます。このように過去から未来につながっているのみならず、実はノートルダムは世界にも広がり、今この時に、この神の愛を信じて生きる世界の人々と、私たちはしっかりとつながっている。その事実を、信じるだけでなく、たとえば皆さんの先輩の高校一年生の66人は、つい一週間前、実際に飛行機に乗りしっかりと自分の身体で体験してきたばかりです。

 私たちはちょうど一週間前、アメリカ合衆国の東部に位置するメリーランド州ボルティモアを訪ねました。同じ心で生きる私たちの姉妹が、Institute of Notre Dame という活気溢れる高校と、Notre Dame of Maryland Universityという美しい女子大学で、それぞれ勉学に励んでおられました。皆さんはすでにセントルイスには姉妹校があることはご存じですが、まだまだ世界は広く、本校生徒たちは初めて、はるばる日本からそれらの学校を訪れることができました。私たちはこの高校と大学、そしてシスター方から大歓迎を受け、両校の歴史に残る出会いを果たしました。まるでそれは遠く離れて住むファミリー・メンバーを訪ねる気持ちであり、離れていても、同じ神様の愛を信じ、同じ心で生きている人々に会いにいくのは、深い絆と縁(えにし)を感じる特別な旅でした。
このように、神様は、私たちが大切なことを憶えておくために、こんな素晴らしい仲間たちを同時に与えてくださってもいる。神様はなんと素敵なお方でしょうか。

今日で、ノートルダム女学院中学校での三年間を終え、新たなステージにさしかかろうとする皆さん、皆さんのこれからの青春の時間は、煌めく宝石のような時間です。それは意外に短く、でも想像しているよりははるかに、堅固な土台となって、今後の皆さんの人生を支えるものです。どうか、今のこのかけがえのない十代の青春の時間を大切にして、次の扉を開けてください。

神の祝福が皆様の上に豊かにありますように、お祈りします。

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