ノートルダム女学院中学高等学校 2016年度 入学式 学校長式辞

ノートルダム女学院中学校・高等学校 入学式

栗本嘉子学校長式辞

2016年4月7日 挙行

新入生の皆さん、ノートルダム女学院中学高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。本日、皆さんをこのようにお迎えすることができて、 私は本当にうれしく思っています。保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様のご入学、誠におめでとうございます。本校は、家庭と学校を車の両輪に例え、どのような時にも一致協力し信頼しあって一人の人をご一緒に育て上げることをたいへん大切なことと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。そして、ご来賓の皆様、本日は、お忙しい中本校入学式にお越しになっていただき、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

さて、改めまして、新入生の皆さん、ノートルダム女学院へようこそ。 今ここに集まっておられる皆さんは、偶然集まっているのではなく、ご縁があって呼ばれ、それに応えた人々の集まりです。そのことを、まず私は大変嬉しく思っています。さらに、皆さんは今、新しい制服に身を包み、私の 話に耳を傾けてくださっています。この制服は、皆さんにとって真新しいだけではなく、本校にとっても、真新しい制服であり、皆さんが、これを着て通学する第1期生となります。これまで皆さんの先輩が63年間の長きにわたって着用された制服に敬意を払いながら、皆さんは、これから、この新しい衣を身に纏って、本校の新しい伝統を本日から築いていってください。

ノートルダム女学院の初代学校長シスターメリーユージニア・レイカーは、とても大切で意味深い言葉を残されています。 “Be a Lady” 「あなたたちは、レディーでありなさい。」私たちノートルダムがめざすレディーとは、まぎれもなく、聖母マリアのことです。私は今日から、皆さんをノートルダムの小さなレディーとして扱います。小さな、という意味は、まだ完成していないという意味です。皆さんが18歳になって、この学び舎を巣立つとき、女性として聖母マリアの生き方を生涯かかって追い求めようと、しっかりと決意できていることでしょう。それまでの6年間、3年間は、鍛錬の日々。ここで、様々なことに関わり、学び、感じ、聖母マリア様のような素敵なレディーになるように努めてください。

私が願う、ノートルダムのレディーの姿を述べてみます。
レディーは、自分が神様からこの上なく愛されて生かされていることを 知っています。
レディーは、生きとし生けるものは、すべて神様がおつくりになったものと知り、自分とそれらのつながりを大切にします。
レディーは、この世界に自分一人で生きているのではなく、お互いに支え合って愛し合って生きていることを知っています。
レディーは、自分の可能性を信じ、自分の内なる力を見つめながら、成長することをやめません。
レディーは、この世界で弱い立場に置かれている人のことを忘れることはなく、自分から出かけて行って、彼らの幸せのために、自分を使います。
レディーは、この世界が神様の調和の中で美しく輝いている姿を喜び、そうでないところがあれば、再び輝きを取り戻すように具体的に助けます。
もちろん、だからこそ、小さなレディーたちは、まずは、毎日の日常を丁寧に生きることから始めます。乱暴な言葉をつかったり、人の悪口陰口を 言ったり、人の嫌がること、人が悲しむことは決してしない。それらは、神様がよしとされる行動ではなく、神様を悲しませる行動だからです。
レディーは、まず、優しく微笑み、挨拶することから、自分とその人との関わりを始めます。人から自分にしてもらいたいと望むことを、まず、自分からその人にします。

さて、このように、マリア様をめざして励むレディーたちの集まりは、同じ方向をめざすノートルダム・ファミリーを作り上げます。ファミリーは、偶然寄せ集められた人々の集団ではなく、意味をもって集まった、つながりのある共同体です。このファミリーでは、一人ひとりが自分を信じ、自分以外の人々のことをお互い常に思いやり、愛し合いながら、一緒に成長していきます。そのつながりの根底に、命の源である神様がおられ、私たちをこの上なく大切にしてくださり、愛してくださっていることを実感します。中学生1年生は今から6年後、高校1年生は今から3年後には、18歳のノートルダムの誇るレディーへと成長し、神と他者と自己に誠実さと愛深さをもって生き、自分に与えられたミッション、すなわち使命とは何かについて、世界をビジョンにしっかりと考え、それに向かって勇敢に歩み始める女性へと成長を遂げられていること、これが、ノートルダム教育の目標であり、校長としての私の願いです。

今年は、カトリック教会では、「いつくしみの特別聖年」と定められています。不和のあるところ、疎遠になっているところ、対話がないところ、もしもそのようなところがあったのなら、そこで「家族が再会し、お互いに抱きしめ合い、赦し合う良い機会です。とてもたくさんの良いことを、人はできるものなのです」と教皇フランシスコは言われています。ノートルダムのレディーたちは、自分たちがキリストの光となって周りを照らし、もしも憎しみが存在する場所があれば、そこに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂あるところに一致をもたらす存在となって、神様の平和の道具として働きたい、そう皆さんが心から願って日々を生きることができるように、校長は毎日、皆さんのことを神様に祈っています。

神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますように祈ります。

前のページに戻る