ノートルダム女学院高等学校 2024年度 卒業式 式辞

ノートルダム女学院高等学校 2024年度卒業式 式辞

2025年228日 学校長 栗本嘉子

 

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様、高いところではございますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。三年間、または六年間、ノートルダム教育に共感し、信頼してご同伴頂いたことを、心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。また、パウロ大塚喜直司教様を始めとするご来賓の皆様、本日は、ご多用の中ご臨席賜り、心より感謝申し上げます。そして、また本日は、28期同窓生の皆様も、2階席から見守ってくださっています。ようこそ、懐かしの母校へお越しくださいました。心より歓迎いたします。
 
 さて、卒業生の皆さん、この学び舎を巣立った後、ここで学ばれたノートルダムの精神を豊かに創造的に生きてほしい、このことは、学校長としての私の願いであるばかりではなく、あなた方がこれからの人生を生きて行かれる上で、また、私たちが今生きている現代社会にとって、どれほど大切であるか、本日、この場所で最後にお話ししておきたいと思います。
 
 本日28日、私はこの大切な卒業式が終わり、記念パーティーに出させて頂いた後、夜10時半に関西国際空港を出発する飛行機で、ローマに向かいます。イタリア時間の明日午前11時にはローマに到着する予定です。日本が8時間進んでいますから、日本では夜7時になっている頃でしょう。ローマに行く理由は、この学校の設立母体であるノートルダム教育修道女会がローマ総本部で主催する、グローバル・エデュケーション・コミッションという国際会議に出席する為です。およそ20人強のメンバーは、アメリカ、ブラジル、ポーランド、ドイツ、ハンガリー、ナイジェリア、チェコ・リパブリック、ケニア、ホンジュラス、イタリア、スロバニア、そして日本からは私、と、世界各国からのノートルダム教育に携わる人々が集い、まさにグルーバルと言える会議になります。そこでノートルダムが大切にしてきた教育について、そしてこれからの未来の教育の姿について多くを分かち合い、深い交わりと絆から生まれるノートルダム教育の完成の姿を皆で描き、「人が変われば世界が変わる」という、創立者マザーテレジア・ゲルハルディンガーが提唱された、ノートルダム教育のユニバーサルな信念を、21世紀に応用させるのです。
 
 時間という制約、人の身体という限界、海を越える距離と時差、そして文化という固有のフレームワークの中で歴然とある価値観、それらの制約、限界、違いを乗り越えて、それでも確実に存在すると信じられるノートルダムが育む若者たちの姿、それを確認し合い、それぞれの国に持ち帰り、それぞれの文化の中で再構築する、その作業こそは、21世紀という時代のただ中を生きる私たちすべてにとり、そしてこれから大海原を漕ぎ出そうとする皆さん方お一人おひとりにとって、ひいては皆さんの次の世代の人々にとって、不可欠なことだと私は確信しています。今日、皆さんに改めて認識してほしいこと、それは、皆さんが卒業していかれる本校は、このような本物のグローバル性をもち、地球上のどこにいようとも、違いがどれほど大きいように見えても、「神における一致」いう共通の価値観を土台としている、ノートルダム教育修道女会という共同体が母体となっているということ。そこでは、共に祈り、互いに愛し合い、思考し、関わりを深め合い、歩むことができる、そのことを信じて疑わない、そのような心をもつ共同。その修道会によって、今からおよそ200年前にドイツで最初の学校が設立され、そして73年前にここ京都に設立された、ノートルダムという学び舎で、皆さんは愛深く育てられたということです。
 
 今、私たちは、IT化と人口知能が加速度的に進化し、これまでの知識や技能のみにもはや頼ることができない時代のただ中に生きています。様々な知識や情報は瞬時に共有され、あらゆる人とモノが瞬時につながり、テクノロジーの進化には、目を見張るものがあります。創造を超える素晴らしい時代が到来したかのように思える時、同時にまた、私たちには、深淵な問いを与えられました。人間にしかできないこと、人間だからこそ行うべきこととは何か。人口知能の台頭が人類の脅威ともなっている現代にこそ、神がその似姿としておつくりになった人間の本来の姿とその心が何だったのか、という問いかけが生まれているのです。究極的には、今ほど、「人間とは何か」という問いを真正面から突き付けられている時代は、これまでなかったのではないかと思われます。
 
 カトリック学校であるノートルダム女学院は、どのように時代が変遷しても、「私」はどう生きるのか?という問いを、それぞれの時代に問いかけてきました。それは、対話的、共感的でありながら、時においては、時流に抗うことにもなります。なぜならば、カトリック教会は、イエスの生き方と価値観を最優先に選ぶからです。効率、利便性、生産性の高さを優先する社会の中で、困っている人や泣いている人を決して忘れない生き方をする。イエスがそう生きたからです。強者を作り出し、弱く貧しい人々が置き去りになる社会、ランク付けし、虚偽、虚栄の果てで愛を弱らせ絶望を招く社会、自己中心的に自然を消耗させ、地球資源を枯渇させる社会、不和や争いが絶えない社会、これらの社会の現実に逃げずに向き合って、誰をも排除することなく、神様が義とされる方向へ愛をもって変革する。イエスがそう生きたからです。ノートルダム教育を受けた皆さんは、どうか、他者の欠乏、地球社会の課題の前に謙虚さをもって、神のもとの平和のために自分を惜しみなく使ってください。自分を大切にし、同様に他者を慈しんでください。助けが必要な人々の声にならない声をよく聴き、その方々の隣人となり、あなたの中の光を、彼らの前に灯してください。これが、ノートルダム教育が、私たちの前にいつの時代も明らかにしてきた価値観、21世紀を新たに生き抜くための「徳と知」、世界に広がる我々の兄弟姉妹の学校が、すべからく分かち合っている私たちの共通の決意です。
 
 今現在、病の床で、私たちの為に懸命に頑張ってくださっているフランシスコ教皇様の為に、お祈りいたしましょう。そしてお一人おひとりの新しい門出が、神様の祝福に満たされた素晴らしいものであるように心からお祈り申し上げて、私の式辞とさせていただきます。

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