高校3年生 自主講座「弁証法と実存主義でみる現代社会」その2
2月3日にご紹介した高校3年生 自主講座「弁証法と実存主義でみる現代社会」の続きをご紹介します。
《第3回目(2月7日)》
今日の話題提供者は、前回の授業で、人間が持つ「悪」についての話題になった時に、「正義」という考え方の存在に言及したSさんです。彼女が、テーマとして選んでいたのは「貧困」でした。
彼女がまず、「貧困」について興味を持ったきっかけは、本校の中学3年生の時に鑑賞したインドの児童労働の映画がきっかけだったそうです。
(やはり早い時期からそういう社会問題に触れていくというのは、大事なことだとしみじみ思いました。さすがノートルダム女学院!!)
さらに今回の授業に向けて、『国際協力のため』という書籍も読み、しっかりしているSさんは準備をちゃんとしてきてくれました。
彼女はその本の「貧困」の定義の中で、特にウェルビーイング(Well-being)〈 注:well(よい)とbeing(状態)からなる言葉で、幸福度を現す概念〉という考えに着目したそうです。
そこから私たち4人(生徒と担当教員Mです)は、人間の「幸福とは何か?」という対話になり、経済的に貧しくても助け合いや共同体意識の強いフィリピン(本校グーバル英語コースでは1月にフィリピン研修に行って、まさしくそのことを体験しています)の例や、一方、経済的に豊かな国でのホームレスの問題、また「貧困」には精神的な貧困(孤独など)もあるのではないかという話になりました。その時、前回の話題提供者だったKさんが「貧困は人ごとではなく、孤独や孤立は自分たち一人一人の中にもあるのではないか」と、「なるほど〜」とみんなが頷きたくなる意見も言ってくれたのです(泣)!
そして、人間というのはそもそも、人と人のつながりの中で、コミュニティ(共同体)の中でこそ、「幸福」に生きていける存在だということになりました。
(ここで1時間目終了・・・
10分休憩の間に担当教員Mは、今回のテーマも実存主義とアウフヘーベンにしていかなければと思い、急遽キーワードを黒板に書く準備をしました(汗))
2時間目の開始とともにキーワードを板書し、まず実存主義的に言えば、「幸福」に生きていくためには、社会の中での自己実現(自分らしく生きる)も大切なのではないかと言う話になりました。
実はその話には前置きがあり、1時間目の対話の中で、4人の中の一人が「実は私は今、大学に行こうとしているけれど、本当は他にやりたいことがあるの・・・」という話をしてくれ、みんな(4人と私M)が「すご〜い!!!いいや〜ん!がんばって〜」と(少しMは目頭が熱くなりながら)応援の言葉を述べたシーン(場面)があったことを付け足しておきます。
また、私たちの「幸福」にとって何よりも大切なコミュニティを破壊してしまうのが「戦争」なのだということも確認しつつ、今の社会が、経済的には豊かになりながら、真逆な「貧困」をうみ出し、分断や対立も深めてしまっている、このテーゼとアンチテーゼからどのようにアウフヘーベンしていくのか、という本題の話になっていきました。そこで担当教員Mが「ヘーゲルは自由の実現のために、歴史が動いてきたとしたけれども、私たちはこの現代社会が、何の実現のために向かわなければいけないと思うか?」とメンバーに聞いたところ、今の社会に不足しているものとして以下の意見が出されました。
・助け合いの精神
・協働、共存
・アガペーとしての愛(隣人愛)
・生活のゆとり・精神的ゆとり
特に、アガペーとしての愛(隣人愛)という意見に、自分たちで到達できたのは、大きなことだと思いました。(嬉)
しかし、最後には、今世界を揺るがしかねない「アメリカンファースト」、国益のためには人道支援も打ち切ろうとする姿勢に参加者は、「何が人間を動かしていくのか」、「どのような社会を目指すべきなのか」と、遠い彼方の世界に思いを馳せながら、今日も濃密な対話の授業が終了し、また来週お目にかかることを楽しみにしながら、私たち(4人と担当教員M)は解散しました。
(最後までお読みいただきありがとうございました! by M 😀)