エッセイ ミッションスクールって何でしょう?

今日は、風邪やインフルの予防のために、通常の講堂や聖堂で行っている集会型の朝礼に代わって、全校放送朝礼を行うことにしました。原稿を用意したのですが、朝礼が終わって読み返してみると、これこそ、読者の皆様に知って頂きたい内容だったと改めて思ったのです。

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皆さんおはようございます。本日は、インフルエンザや風邪を予防するために、大勢の人々が一堂に会することを避けようと、放送で、私の話を聞いて頂くことになりました。

私が折にふれてこれまでに話してきたことの中で、このような機会、すなわち、全校の人々が、生徒の皆さん、教職員の方々がおられる時に、話しておきたいことがあります。何度も、何度も、これまでに話してきたことかもしれない。でも、この学校にとって、存在の根幹に関わることを、今日、私は皆さんにもう一度触れてもらいたいと思うのです。今、中1から高2まで、この話をHRで聞いてくださっているので、私はこの話を、ちょうど真ん中に位置している中3の方々の理解に合わせて話そうと思います。だから、中1の皆さんにとっては、ちょっと難しく思うかもしれませんが、がんばって、理解してみようという気持ちで聞いてください。

この学校は、カトリックのミッションスクールであるということは、すでに知っていますね。で、皆さんのお友達やおばさんやおじさんに、あなたが通っているノートルダムは、ミッションスクールってきいたけれど、一体、それって、何ですか?と尋ねられたら、あなたはどう答えますか?「さあ、しらない」ではあまりにも恥ずかしい。ご自分が、大事な青春時代の日々を、この学校で送ることを選んだのです。単に、ホームルームが楽しければいい、友達がいっぱいできればいい、先生がよい先生であればいい、それだけでは、本当のノートルダムのコアな価値に触れているとは言えません。今日は、この放送の後、あなたが通っているノートルダムは、こういう学校なのだとご自身で納得していただきたい、そして、あなたの周りの人々にも、わかりやすく説明できるようにしてもらいたい。それが今日の放送の狙いです。

この学校が、アメリカ人の4人のシスターによって、60年まえに設立されたということをすでに私が創立記念日を始めとして、様々な場面でお話をしてきました。そしてこれも、もう、幾度となく話していますが、私も、ノートルダム女学院の生徒でした。皆さんと同じ茶色の制服を着て、この鹿ケ谷の坂道を毎日登り登校してきました。
私が女学院に通っていたころは、まだベールをかぶったシスター方がたくさんおられて、英語や国語や社会や理科や家庭科や宗教など、シスターたちからたくさん学びました。でも、実際には、私にとってシスターから勉強を学んだということよりは、はるかに、シスターという人がこの世の中に存在していることのほうが興味深く感じました。そして、なぜ、この人たちはお隣の修道院、今はユージニアハウスと呼んでいるこの不思議な場所に、たくさん集まって生活しておられるんだろう。何が楽しくて毎日ニコニコして生きておられるんだろう、好きな人はいないんだろうか?恋愛してもいいんだろうか?とかいろいろ素朴に思ったものでした。そして、しばらく時が経って、はっきりとわかったことがありました。どんなシスターも、優しいシスターも怖いシスターも、大好きなシスターも、私自身ちょっと苦手なシスターも、みんな共通な一つのことがあるとわかったのです。それは、イエス・キリストという人に惚れ込んで、ここまで来られたのだということでした。イエス・キリストって、相当にすごい人のはずだ。だって、こんなにたくさんの人が、実際に信じているだけでなく、自分の一生を賭けて、キリストに倣って生きたいと望んで、共同生活を実際にしてしまうなんて、それって、結構凄いことじゃないかな、と思ったわけです。週に一度教会に行くっていうだけでなく、一生涯を、イエスのために生きよう、イエスのように生きよう、イエスを伝えるために生きよう、と決意することができる、そんなイエスってどんな人だったのだろう。神様だって言っているけど本当かなあと、生徒だった私は、本当にイエス・キリストのことが知りたくて知りたくてたまらなくなったのでした。そしてこんなことがわかったのです。

イエス・キリストという、もう2000年も前に生きていた人がいた。ユダヤ人、男性。マリアという女性から生まれた人。お腹が空いている人たちにパンと魚をたくさん増やして祝福の内に与えた人、だれにも相手にされなかった人の家に行って一緒に食事をした人、たくさんの病人を癒した人、死人を生き返らせた人。盲目の人の目を開けた人、敵を愛しなさいと教えた人。出かけていって困っている人、虐げられている人、弱っている人、傷ついている人の隣人になりなさいと教えた人、友のために命を捨てることよりも大きな愛はないのだと教えた人。たくさんのたとえ話をもって、私たちに神様の大きな大きな愛について教えた人。嵐を鎮めた人。幼子を抱き寄せて祝福した人。神殿の前の商売人を追い出し、出店をひっくり返して教えた人。祈りを知らない人々に誰に向かって何をどう祈るのかを教えた人。私は道であり、命であるといった人。99匹の羊を山に残して、迷った一頭の羊を探しに行くと言った人。多くの人に本当の喜びと魂の生き返りを体験させた人。命の言葉を話した人。救いの言葉を話した人。最後の晩餐で、どれほど弟子たちを愛しているのかと説いた人。そして本当に弟子たちを、周りの人々を心底から愛した人。その弟子たちに裏切られても尚許した方。そしてだれにも理解されずに、33歳でこの世を去った方。そして、死んで3日目の朝、復活された方。そして復活後、弟子たちに現れ、3度裏切った弟子のペテロに「私を愛しているか」と3度尋ねた方。そして臆病だった11人の弟子たちを、180度変えてしまった方。それ以降、弟子たちは、何も恐れず、力強くキリストを宣べ伝え、そして、その弟子たちの弟子たち、そのまた弟子たちが、今日まで、ひと時も絶やさずにイエス・キリストの教えを広め、シスターたちから私が、その教えを学びました。2000年の時が、こうしてつながっているわけです。今、私はあなた方に、この方の話をこうして伝えています。私だけではなく、この学校のいろいろな場面で、あなた方はイエス様の言葉を得て、その教えを心に留める機会をどうか大切にしてください。 イエスの最も大切な教えは、「愛しなさい、そうすれば生きる」ということです。「生きる」とは単に食べ物を取り入れて生物的に生きるという意味を超えて、与えられた「命」を全うする、本当に「生きる」ということです。イエスは「生きる」ことは「愛すること」であるとはっきりとおっしゃっています。そのことの意味を、このノートルダムでつかんでほしいと思います。そのために、あなた方がその意味をつかむために、この学校は存在しています。そのためだけに存在 しているといっても本当は過言ではないのです。

ところで、冒頭私はミッションスクールとは何ですか?と質問しました。
ノートルダムは、皆さんにとっての中高時代という時間を育む場所であります。そして、その場所は、単にいつのまにかあったのではなく、今話したような生き方をされたイエス・キリストという存在の生きざまに最大の価値をおいて、これが、私たちのめざすべき学校のハートである、と世の中に宣言している学校のことなのです。時代が変わり、そこに生きる人々の顔ぶれが変わっても、尚変わらないものを知っていて、それを受け、そしてまた渡し、大切に伝えながら、その時代時代を生きていく学校。それがミッションスクールです。皆さんは多くの人々の愛情によって大切にされてきた学校に暮らしているのだということを覚えておいてください。そして、最も大切なことは、皆さんが一番新しい時代の先端に、こよなく愛されて生きる生徒である、ということです。今日、私が伝えたいことはそのことです。

今日も恵みに満ちた一日でありますように。

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