エッセイ 生かし合って生きている (1)

皆さまには、私のバックグラウンドをまだ紹介する機会がなかったかも知れません。学校で直接、保護者の皆様にお話する時には、折にふれて私の自己紹介をする機会がありますが、ブログではまだ一度もそのチャンスがなかったと思います。昨日、プロフィールをアップしましたので、またお時間があれば覗いてみていただければと思います。

私は2008年4月にここ母校に戻ってくるまで、聖母女学院短期大学という京都市伏見区にあるカトリックの短大に17年間奉職していました。25歳で2年間、米国に留学し、帰国して翌年から2008年まで、つまり人生の20台後半から40台の半ばまで過ごしたこの場所は、大人としての私の基底部分と、社会人としての私の多様な側面を育ててくれたと言っても過言ではありません。まさに、かけがえのない、そして愛してやまない職場です。私の人生において数々の記念すべきイベントも、この職場と共にありました。専任講師として着任して一年目に結婚し、その2年後に長男を出産、その2年後に次男を出産、それから4年後に在外研修で家族と共に渡英しました。5月中旬のブログで分かち合った、生涯の師として仰ぐアンセルモ・マタイス神父様も、この頃に学長に就任されています。

同僚にも恵まれ、研究仲間として励まし合い切磋琢磨し合いながら、共に激動の大学改革の時代を生き、将来構想、改組改変等々、あの頃にしかできない仕事を一緒に夜遅くまでやった仲間たちは、今でもかけがえのない友人たちです。

あの頃に書いたエッセーの一つを、ご紹介します。少し長いので2回に分けます。




忘れられない一瞬というものがある。研究室で、普通に学生と会話しているはずのその時間が、生涯においてかけがえのない、きらめく時間となることが多々ある。その内の一つを分かち合いたいと思う。
 教師とは、常に学生に何かを与える存在であるはずだ。常に存在そのもので彼女らを力づけたいし、糧となる言葉を与えたい。励ましとなる何かを受け取ってほしい。日々授業で、研究室で、学内外で、そんな「教師」でありたいと思っているのは私だけではないはずだ。そんな私は、学生たちの視点では常に、自信に満ちているようにみえ、強い意志をもち、逆境にも屈せず、明るく前向きに生きている栗本先生と信じられている。おそらくそれは、パーフォーマンスではなく、本当の私の一部であるかもしれないが、無論、私のすべてではない。
 ここ数年、イギリスの母子関係をテーマにして研究を続けている都合上、年に少なくとも一度は渡英することを余儀なくされる。渡英前の慌ただしさは、向こうでの研究の為の事前準備が、短大での業務のただ中に入り込んでくることから始まる。自宅の扉から滞在先の扉までおよそ24時間かけて到着したイギリス国内では、限られた時間にいかに効率よく仕事をこなすか、そのタイムテーブルとの戦いでもある。からだの疲れなどカウントしている間もない。そして24時間かけ帰国、時差ボケと共に残務処理に忙殺されながら、短大での日常の再開。ここまでなら、まだ自分のことだけなので何とかなる。どんなに苦しくとも、自分の研究生活なので文句もない。しかし何よりもつらいのは、この生活に家族を巻き込むということ。このテーマで研究を続けて7年が経つが、子どもがまだ小さかった頃は、たとえ一週間でも、私が出張することを、彼らは言うまでもなく嫌がった。早朝、戸口で泣きながら見送ってくれる子どもたちの姿を、振り返って見ようとすればもう行けなくなると知っていた。
 そんな一連の英国出張に伴うストレスフルな心境は、もちろん非常に個人的なことなので、学生たちに話したことはなかった。
この続きは明日に。

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