エッセイ いのちと向き合うということ

先週は、全国カトリック学校 校長教頭の集まりが京都でありました。北は北海道北見から、南は鹿児島まで、全国カトリック小中高で合わせて80校以上の校長たちが一堂に会しました。テーマは「いのちと向き合うカトリック学校」、特に昨年3.11以降の東北の子どもたちの様子がとても気になっていたので、そのあたりも直接いろいろお話が聞けたらと希望していたら、会場前では模造紙20枚にわたって、被災地の子どもたちが震災前後から今日までの振り返りを書いたものが展示されていました。東北の子どもたちの肉筆から伝わる思い、家族や友人への心を直接目にすることができ、非常に貴重な機会でした。

集まりでは、カトリック学校の様々な方面の取り組みや、教育観の分かち合いが行われました。その中で、今日から明日にかけて、ご本人のお許しを得て、京都聖嬰会の前施設長でいらっしゃった井上新二先生のお話の一部を分かち合いたいと思います。先生の非常にやわらかな物腰と温かいお声に運ばれたメッセージには、「いのち」に向き合って生きるとは何なのかについて、深い示唆が含まれていました。

井上先生が、まだ公立小学校にお勤めだった頃の印象的なエピソードです。それはあるお母様が先生に分かち合われたお話だそうですが、そのお母様と娘のA子さんがある日、市バスに乗っておられました。そうしたら、2人組のご婦人がバスに乗ってこられました。そして母娘のちょうど前にお座りになりました。

この続きは明日に。

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