エッセイ 英国の母親たちのことばを追いかけて ~ 6月11日の家庭教育講座の準備です

6月11日に、父母の会主催の家庭教育講座が午前10時から本校であります。そこでお話する内容を、そろそろ準備しなければ、と思いながらやっと机に向かっていますが、3分も経たないうちに電話が、10分もしないうちに来客がという具合です。すなわち、校長室でものを書いたり読んだり考えたり、という一人で行う仕事の時間が確保されるのは、だいたい夜の7時以降が普段の流れです。ということは、この場所で、日が暮れるまでにしているメインの仕事は何かというと、ほとんどが人と話すことであると言っても過言ではありません。

「話す」「対話する」ことについて、30代、40代前半の頃の時間を費やして、自分なりに考えていたことがあります。ある時、不思議だと思ったことがきっかけで(何が不思議だと思ったのかは後日お話しましょう)、話し言葉の分野に興味を持ち始め、日本語の話し言葉をもっと深く知るために、英語の話し言葉と比較していろいろ調べていた時期があるのです。
思えば今とは私の日常の時間の流れ方が全く異っていました。その時期、夫と私のそれぞれの関心分野で一致した国イギリスに、1年間両者とも仕事を離れて家族で暮らす機会がありました。文化や言葉の概念などまだはっきりと持っているはずもない6歳と4歳の2人の息子にとっては、イギリスはオクスフォードの公立小学校と保育園の世界は、想像もしない生活の一大転換だったようです。これらのことについては、11日の家庭教育講座でお話することになるでしょう。なぜならば、今回の私のトークのテーマは、イギリスと日本の母親たちの子育ての在り方、特にことばの用い方に着目することになるからです。

私が非常に興味深く感じた、英国滞在中に気づいた現象は、子どもたち(私にとっては英国の地元の公立学校に通うこどもたち)の言語表現が、日本人の子どもたち(私の息子たちに代表されるごく平均的な彼ら、とお考えいただきたい)のそれと、確かに異なっているということでした。どのように異なっていたか、それは次回のブログでお話したいと思います。その違いは、ルーツを辿れば結局は、彼らにとって最も身近な母親たちのことばかけの違いがその発露になっているのではないかと思ったのです。

では、次回に。

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