エッセイ 金環日食の朝に想う

今日は特別な朝です。早朝からニコニコしながら坂道を上がってくる生徒たちを迎えます
「先生、楽しみ!」「突然雲が出てきたらどうしよう!」「きっと大丈夫。こんなに晴れてるもの」「先生、金色のリング、見れますか~?」「ホント、見られたら素敵ねえ」 
生徒たちとの早朝7時前の校庭での会話です。
 
日食を見たい人たちは今日、グラウンドに午前7時15分に集合です。理科の先生方が用意してくださった観察用メガネを片手に、半ば興奮気味で次々と生徒たちが到着します。
  
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生徒たちが日食メガネを使用して空を仰いでいます。

グラウンド上空では、観察用メガネごしに、美しい三日月のように見える重なりが、時を追うごとにくっきりと影絵のように大きくなってきます。観察用メガネを、前もって家で購入して持参してきている人たちもいます。メガネの種類によって、見える三日月型の太陽の色が微妙に異なり、みんなで交換し合って様々なバリエーションを楽しみました。赤く見えたり、蛍光色に見えたり、真っ白にみえたり。

 
 
 
 
 


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これ、わかりますか? 木漏れ日の影がすべて三日月になっている珍しい一枚。 ピンホール現象がこのように大自然の中で実現。

この京都の地で、太陽と月の最も顕著な重なりがリング状になると予想される午前7時30分までには、本校グラウンドに既に120名ぐらいの生徒たちと教職員が集まりました。「世紀の出来事やなあ!」「もう次は280年後なんやって!」「へ~、もう私たち全部いいひんってことや~」生徒たちが会話しています。確かに、次の金環日食は、2030年6月1日に北海道で見られるらしいですが、それは18年後のことです。でも、計算上、京都において今日のようなことが起こるのは、今から280年後、すなわち、西暦2292年ということです。つまり、ここに集っている人たちすべてのライフタイムでは、今この時、この場で、これが最初で最後ということは確実です。



 
 

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理科の先生による撮影。 三脚なしで、よくここまで!感謝。

そう思えば、今、ここに、集っている私たちは深いご縁があってここに呼び寄せられた―そう思いませんか?私にメガネを貸してくれたH先生も、私の右隣りで歓声を上げている高校生も、私の左隣りにいるA先生も、後ろで笑っている中学生たちも、みんなみんな、この日、この時、この場で、こうして一緒に太陽と月を眺めていることは、奇跡に近い「ご縁」の成せる業、別の言い方をすれば、神様しか生み出せない出会いと言えます。2012年5月21日、午前7時30分―この巡り合わせで神様がこのように配置された太陽と月と私たちの結びつきの神秘に、こうやって一緒に与ったことを、いつまでも心に刻んでおきたいと思います。
 
私たちはどんな時にも、一瞬ごとに、私たちにはコントロールできない神様の業に与っています。それはすべて、神様の深い愛に裏打ちされています。出会いや別れや、すべての出来事や思いの連鎖は、ある種の秩序という人もいるでしょう。また、偶然と呼ぶ人もいるでしょう。でも、私は、神様の愛の計らいと言い切りたい。今日皆で味わったダイナミックな天体ショーは、何ごともないような日常をも、実は神秘の連続なのだということを教えてくれました。


そう言えば、校長室の棚に、美しい石が一つ置いてあります。掌サイズの小さな石ですが、次回のブログは、これについて是非お話したいです。今日の出来事と深く結び合わせて、分かち合いたいことがあるからです。お楽しみに。

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