ノートルダム女学院中学校 2020年度 卒業式 式辞

ノートルダム女学院中学校 2020年度卒業式 式辞

 

2021年3月19日

 

学校長 栗本嘉子

 

 

 

 

 

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。そして保護者の皆様、高いところからではございますが、お嬢様の中学課程の修了を心からお慶び申し上げます。3年間、ノートルダム教育にご同伴くださり、誠にありがとうございました。本日で、ノートルダムから他の道を行かれる方々もいらっしゃる中、今日の日を節目に、今一度、ノートルダム教育が大切にしてきた心を共有させていただきたいと思います。


 さて、ちょうど一年前の三月、中学卒業式の私の式辞を読み返してみたら、私は次のように話していたことが思い出されました。「これまでに、世界中で15万人の方々がこの感染症にかかり、現在も8万人の人が苦しんでおられる」と。当初は、圧倒的に思えた感染者の数も、一年後の今日から振り返ってみると、まだ始まりに過ぎなかった。この先、どのような運命が地球上のすべての人々に待ち受けていたのか、それを確実に知る人はあの時点でだれもいなかったと言えます。そして先日、新型コロナウイルス感染症拡大によって、これまでに、世界で1億2000万人の人が感染し、260万人以上の人々が亡くなっていかれたという報道が入ってきました。「いのち」は常に、本来数えられるものではありません。にもかかわらず、私たちはこの一年以上の期間、陽性者数、重症者数、死者数を常に数値化し、目に見えないウイルスの動向を追ってきました。私たちは、260万人という「いのち」の個体数の実感を、しっかり自分ごとにできないまま今日に至ってしまいました。だれがいつ亡くなっても不思議ではない中、実際にこれだけの方々が亡くなってしまい、そして今、私たちは生きている。生きている私たちは今、そしてコロナの後、どう生きるべきなのでしょう。


そしてこの感染症のために、世界中の人々の日常行動様式は、その変容を余儀なくされています。本校も、昨年4月5月は校内完全閉鎖、全教科オンライン授業の展開という、まさに「いのち」を最優先に守るための選択をしつつ、全く想像もしなかった新しいチャンネルで学習の活動を続けました。オンラインという選択をきっかけに、従来の方法に囚われない新しい発想、やってみたかった展開がこの際に実現したことは大きな実りでした。授業のみならず、生徒独自の企画によるオンライン文化祭の開催や、学習成果のオンライン配信などは、その例でしょう。そのプロセスは、決して順風の時ばかりではなく、うまくいかないこと、楽しみにしていたイベントがことごとく中止になり、コロナさえなければ、と悔しく思ったことは一つや二つではなかったことでしょう。こんなに制限だらけの中では何もできない、とやる気をくじかれるようなことも一度や二度ではなかったはずです。それでもなお、ノートルダム女学院はこの間、生徒も教職員も皆が共に同じ地平に立ち、どんなにくじけそうになっても、新たな学びを体験するチャンスとして、無限の可能性に向かって歩むことができた、そのことを私は学校長として大変誇りに思っています。

 

そして今、まだまだ先行きが見通せない中でのこの卒業式に際し、あなたがこの3年間の日々に何を学び、何を感じ、友人たちをどう過ごしたか、そのことを、特別に今、思い巡らせてください。あなたの3年間は、本校においてどのような日々であったのか、何を大事に生きてきたのか、何を達成したのか、これからやりたいことは何か。そのことを、一人静かに思い巡らす時、その黙想は、きっとあなたの未来に意味を与え、これからのあなたの日々に目標と希望を改めて与えるものとなるでしょう。このような危機に際し、人は自分自身に立ち返ることが非常に大切なのです。

 

さらに重要なこと、それは、この与えられた試練のような時間を、どのように過ごせばよいかということを、自分自身で主体的に考えることができる、という素晴らしい「自由」が、皆さんには与えられていること。このことも私は本日、確認したいと思います。状況や環境は、たとえ制限がかかろうとも、皆さんの心意気次第、志(こころざし)次第で、つらいことは楽しいことに、嫌なことは喜びに、また試練を恵みに変えていくことができる。そのことに気づくか気づかないか、の違いはあまりにも大きいのです。

 

皆さんは、2018年、皆さんが中学一年生の時、アンネ・フランク展が和中庵で開催された時のことを憶えておられますか?大きな写真のパネルがたくさん、あの洋館と和室に置かれました。あの展覧会の会場に入った途端、あゝ、アンネが日本に、そしてこの大文字山の麓にある女学院を訪ねて来てくださったのだ、と私は不思議な親近感を感じたことを憶えています。中一だった皆さんにはほんの少しお姉さんに映ったかも知れませんが、今の皆さんは成長し、アンネと同い年になった人も多いのではないでしょうか。アンネは、アムステルダムの隠れ家で、およそ2年の歳月を、命の危険を抱えながらも明るく、与えられた自分の時間に誠心誠意、彼女の青春を謳歌しました。そのことを私たちが知ることができるのは、「親愛なるキティ」と彼女が名づけた日記を、彼女がベルゼン強制収容所に送還される数日前まで書き続けていたお蔭です。親愛なるキティは、友人と会うことも許されなくなったアンネが、想像上作り上げた親友です。どのような状況でも、人間はこのように、創造的に人生を送ることができる、そしてその生き方が後世の人々に計り知れないインパクトを与えるほど、尊いものになり得るのです。アンネの生涯は15歳と大変短かったのですが、その壮絶な運命は後世の私たちに大切なメッセージを残しています。それは、神様は、私たちに乗り越えることのできない試練をお与えになることはない、ということです。そのように言うと、いや、アンネは死んでしまったではないか、神様は助けてくれなかったではないか、と思う人がいるかも知れない。でも、私はあえて言います。神から与えられた命の長さは、人によって違う。与えられた時間の中身を、どのように濃厚に生ききることができるのか、ということが一番大切なことなのです。与えられた時間、与えられた境遇の中で、力一杯精一杯、「今」という時を見つめ、その時間を懸命に生きようとする時、必ずや神様は、私たちにトンネルの向こうの光を見せてくださいます。私たちの人生は、長いか短いかで計れるものではない。いかに生きたか、その終わりに神様の「光」をどう見るのか、ということだけが大切なのです。過去を悔やんだり、未来を案じたりするのではなく、「今」この時を、どういう態度で、どういう心で生きたらよいか、ということを、一生懸命に考えた者だけに与えられる賜物なのかも知れません。15年と時間を、いかに短く過酷であっても、精一杯生きた彼女が、最後に神様の「光」を見たと信じられるのは、後世の私たちが、彼女から漏れこぼれる光の片鱗を豊かに頂くから、それがその証しです。

 

たとえ、何を失っても、たとえすべてが奪われたとしても、あなたが生きている限り、あなたが心を失わない限り、あなたがこの世界に対して、どのような態度で向き合うのか、それはあなた自身の自由であり、その自由は、決してだれによっても、何によっても奪われることのないものなのです。私はこの考え方をアンネと同時代に、同様の強制収容所で生きて、そして生還したオーストリアの精神科医、ビクトール・フランクルから学びました。皆さんの中学生活の終わりの日に、特に、今の皆さんにプレゼントするのにふさわしいと感じました。

 

これから皆さんを待っている新しい高校生活―それらの青春の日々が、悩みのない、平穏無事な生活であるように願うよりはむしろ、自分の中に、「私はどう生きるのか」、という「志」をもって日々生きることを願ってほしい。私が私らしくあるために、何をどう選んで毎日を生きていくのか、という「志」です。どのような青春時代を生きるのかは、皆さんお一人おひとりの内面にある「志」次第であると、私は思います。

 

ご卒業に際して、神様の祝福が豊かにありますように、心を込めてお祈りをいたします。

 

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